"The American Friend"
ヴィム・ヴェンダースの1977年の作品 The American Friendは、サスペンス映画としても充分楽しめるが、戦後ドイツの一つの文化的苦悩をも表象してもいるのでそういう観点から見ても面白い作品だ。ハンブルグに住む額縁師ヨナサンは余命いくばくもないことを医師から告げられる。アメリカ人の贋物絵画取引商のリプリーはドイツのオークションの会場でそのことを聞きつける。数日後フランス人のラウルが現れてリプリーに誰か殺し屋として雇える人物を紹介して欲しいと頼む。リプリーはラウルにヨナサンのことを話す。ラウルはヨナサンに接近し、殺し屋として一仕事するように持ちかける。ヨナサンは最終的に、妻子に莫大な金が残せるのであればと、殺し屋の役を引き受ける。
カウボーイ・スタイルのリプリーがドイツ人ヨナサンを悪巧みに引き込むという設定それだけで、ドイツ知識人が持つ戦後ドイツに対するアメリカ文化進出の構図を端的に示している。戦後、アメリカ政府は東ヨーロッパ、とくにドイツにおいて民主主義思想を根付かせて二度とナチスのような政府が出現しないように率先して文化輸出を進めた。CIA直轄の雑誌 Encounter(もちろんCIAの名前は出さないで)を発行して知識人階級を啓蒙したり、ジャズミュージシャンのヨーロッパツアー(アメリカでは黒人も自由を謳歌していると思わせるため)、それから大量生産された製品をドイツの市場に流すことでアメリカの経済力・生活レベルの高さを喧伝した。The American Friend に見られるコカコーラやウーリッツァーのジュークボックス。仕事場でヨナサンはロック調の歌を口ずさむ。こういったアメリカ文化に対抗するかのように、ヨナサンの乗る車は赤いフォルクスワーゲンだ。フォルクスワーゲンは1960・70年代にアメリカでも人気を博した。ヨナサンの妻はリプリーのことを名前で呼ぶのではなく、いつも「アメリカの友だち」と呼ぶ。ヨナサンは毎日こつこつと働いて家族を大切にする人生を歩んできた。一方リプリーは悪の世界に生きて博打のような人生を送ってきた。この対比もドイツ知識人からみた一つのアメリカ観を表している。
Wim Wendersの作品はアメリカをモチーフにしたものが多いので、しばらく集中して彼の作品を見てみるつもり。
初出エキサイト5/22/2006 M http://takebay1.exblog.jp/3647847/