Tommy Makem

トミー・メイケムの訃報を今日知った。亡くなったのは一週間以上前のことだったらしい。アイリッシュ音楽では、チーフタンズと並んで一番名前が知られている人だと思う。アイルランドからアメリカにやって来たのが1955年、マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジで、同じくアイリッシュ音楽を演奏するThe Clancy Brothersと知りあい、一緒に演奏するようになった。1959年の第一回ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演した。最初はTraditionという小さなレーベルからレコードを出したが、1961年3月には、人気歌番組「エドサリヴァン・ショー」に出演したら、これが、これまでビリー・ホリデイベニー・グッドマンらを手がけてきた大物プロヂューサーのジョン・ハモンドの目にとまり、コロンビア・レコードと契約した。63年には、同じアイリッシュ繋がりということで、当時の大統領ケネディに請われてホワイトハウスで演奏した。アメリカでのメイケム&クランシー・ブラザーズの人気は、本国アイルランドに及んだ。NTYの訃報記事によると、1964年の時点で、アイルランドのアルバム売り上げ総数の3分の1が彼らのアルバムだった。

1960年代前半のグリニッジ・ヴィレッジはモダンフォークの全盛期で、メイケムはピート・シーガーボブ・ディランとも交流を持った。ディランの反戦歌"With God On Our Side"は、メイカムの"The Patriot Game"をもとにして作られた。キングストン・トリオはこの曲をカバーした。 The Economistの訃報記事によると、メイケムとクランシー・ブラザーズは自分たちの音楽を当時のフォーク・ブームやアメリカ人の嗜好に合うように、バンジョーや横笛(tin whistle)を楽器構成に加えたり、「アメリカのテンポはアイルランドよりも速い」ので、演奏もテンポを上げたという。

メイケム&クランシー・ブラザーズのアルバムは二枚だけ持っている。ベスト盤と、1962年のカーネギー・ホールでのライブ盤だ。アイリッシュ音楽は、ヴァン・モリソンを通じても馴染んできたし、ここでは毎週土曜日にアイリッシュ音楽を流すラジオ番組がある。アイリッシュといえば、アメリカ人の間でのステレオタイプは酒好きというのが定着しているが、本当かどうかはさておき、メイカム&クランシー・ブラザーズのアルバム・タイトルを見ていると、"Irish Pub Songs"や"Irish Songs of Drinking and Rebellion"というのを見つけた。だが、メイケム自身は酒を飲まなかったそうだ。rebellionというのは、言うまでもなくイギリスとの独立闘争の歴史を指している。メイケムも愛国主義的な唄をいくつも歌ったが、現実の政治からは距離を置いていたようだ。