マイケル・ラング「ウッドストックへの道」

あまりにも有名な1969年ウッドストック・フェスティバルの回想記。3日間にわたり、多くの有名ミュージシャンが演奏して、20万人とも30万人とも言われる人がニューヨーク州の田舎にまで見に行った。著者のマイケル・ラングは準備・運営の中心的役割を担った。

ウッドストックのことを、愛とか自由のスローガンのもと、ゆるーい感じで企画されたロック・フェスティバルだったという認識をしている人がいるかも知れないが、この本を読めば実際は全然違ったということがよく分かる。あれだけのイベントを実現しようとすれば、並大抵の労働ではできない。たしかに、当時の白人中流階級の大学生世代の理想主義を見事に体現したという部分はあって、それがこのフェスティバルに歴史的意義を与えていることは否定しない。しかし、ラングたちが成し遂げたことは、ロック・フェスティバルという新しい音楽ビジネスだったのだ。これこそが、このイベントの真に偉大だった点だ。会社組織を作り、株の発行、定款みたいな書類をつくるところから始めて、資金提供者を見つけ、場所探し、地元行政との折衝、アーティスト招集、ライバル・プロモーターの出現、ロジスティックス、会場設置、チケット販売、とやることを数え上げればきりがない。気合いと理想、そして仲間内のノリで、成功するような甘い話ではないことだけは確かだ。

まだ音楽フェスティバルというイベントが非常に珍しかったので、ノウハウが出来上がっていなかった。たとえば、入場者を総計20万と見積もった場合、仮設トイレは一体何個必要なのかということから具体的に決めていかなければいけなかった。この点についてラングは国防省にアドバイスを求めるべくアポを取ったという下りは笑える。単純に真面目な発想なのか、ヒッピーお得意の権力おちょくり精神の発揮なのか、どちらとも判断しがたい。

裏話のようなエピソードも満載だ。すでに知られているネタもあると思うが、例えば、各アーティストのギャラの額が具体的に描かれているし、出演オファーを出したが断ったアーティストとその理由も書かれているし、誰と誰が喧嘩したとかも実直に書かれている。殺虫剤としてDDTレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で危険を知らしめた殺虫剤)を散布したら、ニューメキシコ州からやってきたコミューンに叱られたとか。本当?

内容は文句なく面白いのだが、日本語版の編集が雑なのは残念だ。背景知識を持たない読者のために、人物や地名、文化的な単語には解説を付けてほしかった。たとえば、「ジョイント」って言われても、普通は知らない。「ヘッド・ショップ」を分かる読者はどれだけいるのだろうか。翻訳で、明らかな間違いもある。「社会リサーチのニュースクール」というのが出てくるが、これはNew School for Social Researchという大学を指す固有名詞だ。それから、全体の傾向として、日本語を充てるのが難しい単語はカタカナで逃げている。「エンタプライズ」や「ストリートワイズ」などを見て、意味がピンと来る人は少ないだろう。原文は普通の英語だし、けっしてトム・ウルフのようなぶっ飛んだ文体ではないので、律儀に日本語に訳して欲しかった。

ともあれ、ポップ音楽史に輝く歴史的イベントの記録なので、ぜひとも実際の映像を合わせてみてもらいたい。本の最後の方の章は、それぞれの日の登場アーティスト順に記述されているので、ラングの解説を読みながら映像を見れば、楽しいこと請け合い。で、私もDVDを注文したところ。