「アルジェの戦い」

1950年代から60年代に起こったアルジェリアの独立闘争を描いた映画である。1966年制作。

フランスは1830年代からアルジェリアをフランス本国に組み込んで統治した。本国からアルジェリアに移住する人も多く、アルジェリアには白人社会が確立していた。

旧植民地が宗主国との戦いをつうじて独立を勝ち取るというのは、1950年代、1960年代に見られた世界史的な流れだった。アルジェリアも独立を目指したが、フランスはすでに白人社会が確立していたアルジェリアの独立に反対した。

アルジェリア側の抵抗が激しさを増したのは1954年で、アルジェリア解放戦線(NFL)が結成したときからだった。NFLはゲリラ戦術でフランスを苦しめた。このあたりは、この映画見れば分かるように、テロリスト集団とと化したNFLが手段を選ばない方法で独立への道を切り開こうとする。フランス国内でも、徐々に政府に批判的な言論が現れた。サルトルアルジェリア独立を支持し、世論形成に一役買った。

旧植民地の独立を描いた作品ではあるが、いわゆる左翼リベラリズムが賞賛するような映画ではない。映像のほとんどは、フランス側の取り締まりと、アルジェリア民族解放戦線が繰り広げるテロリズムの描写に当てられているからだ。フランス側のNFL組織壊滅のために行うアジトの爆破などが描かれるだけでなく、民族解放戦線もフランス人警官を殺害したり、カフェや空港に爆弾をしかけるテロリズムで応酬する。要するに、「アルジェの戦い」は、この種の歴史が語られる際のステレオタイプな描写にありがちな、宗主国の非人間性と、植民地の人間的純朴さや無垢な被害者という構図ではない。フランスも残忍なら、アルジェリア民族解放戦線も残忍なのである。そこにモラルの優劣はない。

だから、この映画には人間ドラマ的な要素が皆無である。友情、愛情、信頼といった人間関係が現れない。ひたすら、支配側のフランスと被支配者の民族解放戦線の血には血で応酬する闘いが、淡白に描かれる。

映画は、民族解放戦線の組織が根絶されるところで実質的に終わる。そのあとは、テロップで組織根絶後の二年後に民衆の自発的な独立要求デモが起こり、フランスが承認したことが知らされる。

独立をめぐる闘争は、民族自決植民地主義からの脱却などのイデオロギーありきで見てしまうと、美しく見えるのかもしれない。しかし、歴史的経緯や弱者への思い入れ抜きで見ると、残酷というより他に言葉がない。