「がんばれベアーズ」

この3週間をソフトボールで楽しい時間を過ごして、ふと思い出したのがこの映画。 弱小の少年野球チーム、ベアーズの監督をすることになった飲んだくれの元メジャーリーグピッチャー、バターメイカー氏は、リーグ戦最初の試合でチームのレベルの低さに唖然とする。野球が下手なだけでなく、一癖も二癖もあるような連中ばかりで、およそチームワークというもののかけらもない。そこで、元恋人との間にできた娘アマンダをチームに入れる。幼いときから投手としての手ほどきを父から受けていたアマンダはベアーズのエースとしてチームを引っ張る。さらに、札付きの不良少年ケリーを抜群の運動神経を見込んでチームに引き入れる。この二人の加入と、バターメイカーの指導が実って、チームは連勝街道をひた走り、リーグ優勝決定戦に進む。なんとしても勝ちたいバターメイカーは、外野の守備にたいして、ケリーが捕れるボールはぜんぶケリーが捕るように指示をして、打つのが下手なバッターには、わざとボールに当たってデッドボールで塁に出るように指示を出す。試合は僅少差でリードして最終回を迎える。アマンダがこのまま抑えれば優勝は確実だと皆が思っていたところ、バターメイカー監督は何を思ったのか、最終回の表の守備に、エースのアマンダに代えて明らかに力の劣る控え投手を投げさせ、これまで試合に出さなかった控え選手を全員守備につかせた。案の定、逆転されて最終回の裏の攻撃、一点差まで追い上げたが試合終了。

"The Bad News Bears"という原題がタイトルらしくないと思ったが、映画を見てすぐに理解した。これは試合が始まる前にチーム全員で「ベアーズをやっつけてしまえ」と気合いをかけるときの言葉らしい。スポーツもの青春コメディとして「がんばれベアーズ」は無条件に面白い映画だが、見ていておかしいなと思ったことがある。ピッチャー役の少女はテイタム・オニールなのだが、顔が全然違った。こんな顔だったっけと思いながらも、映画そのものが面白かったので深く考えず見ていた。さらに、これは1976年の作品のはずなのに、使われる音楽が今っぽいサウンドハード・ロックばかり。さらに、ベアーズの選手の一人がマーク・マクガイヤーの名前を出した時も、70年代から活躍していた選手だったかな? といぶかしんだが、とにかく映画が面白いのでさして気に留めなかった。見終わってからDVDのパッケージを見たら、たった今ぼくが見たのは2005年製作のリメイク版だったいうことを知った。

青春スポーツものとはいっても、よく見てみればアメリカの社会をかいま見ることもできる。ベアーズは白人、メキシカン、イスラム、黒人の混成チームだ。メキシカンの子どもが言う。野球チームに入ったのは、野球がいかにもアメリカ的なスポーツだからで、自分もアメリカ人の仲間入りをしたいからだ、と。でも父親は反対していると。こどもながらにも、移民という肩身の狭さとどうじにアメリカ社会に同化したいという願望を持っていることが分かる。映画の後半で、このメキシカンの子どもが、試合中のベンチで白人のチームメイトに中指を立てるポーズの仕方を教えてもらうシーンがある。そうやってまで自分をアメリカ的にしようしているわけだ。また、バターメイカー氏が初めてチームを指導した日、子どもの名前を一人ずつ呼んだとき、25の番号のシャツを着ている黒人の子どもに、25番を付けていた有名黒人メジャーリーガーの名前を2,3人挙げて誰のファンなのかと聞いたが、その黒人の子どもにとっての25番とはマーク・マクガイヤー(白人)だった。オリジナルの1976年版ではこのシーンはどうなっているのか興味があるが、こういう場合のお決まりは、黒人だから黒人のスター選手のファンであるはずだというものだが、この25番のシーンは、その固定観念を崩している。2005年版ゆえのプロットであるといえよう。

でも、「がんばれベアーズ」の面白さは、とにかく破天荒なところだ。酒好きの監督はバッティングピッチャーをやりながらビールを飲み、しまいには酔っぱらって気を失うし、子どもにカクテルを作らせるし、バッティングセンターに連れていってやると子どもたちをだまして自分の仕事であるネズミ駆除を手伝わせる。ストリップ通いが趣味らしく、試合にはなじみのストリッパーが10人ぐらい応援に来る。こどもたちも、最初から最後まで悪態のつきっぱなしで、ささいなことからすぐに喧嘩を始め、罵りの言葉をこれでもかこれでもかと吐き捨てる。それでもチームとしてまとまっていくあたりは見事。

勝戦で、監督が勝負に徹するのを止めて、全員に出場機会を与えたが、これはとてもデリケートな選択だ。少年野球なのだからメンバー全員にプレーの機会を与えるべきだという考えは指導者のおごりかもしれない。控えの選手にしてみれば、実力が劣るのは分かっているのに、大人の情けで試合に出されて、しかもほとんど手中に収めていた優勝を逃してしまった責任を負わせるのは残酷でもあるからだ。監督が情に流されたせいで負けてしまったという事実を受け入れなければいけないのはレギュラー選手にとっても残酷だ。それじゃあ、0−26で負けたような弱い時の方がよかったのかと言えば、そうではない。弱かった時には経験できなかったことを、こどもたちは経験できた。選手起用は監督の専任事項であり、選手一人一人がとやかくいえることではないということを学んだし、起こってしまった結果に対してどう振る舞うのかということこそが大切だということも学んだように思う。試合終了後のこどもたちの態度は立派だった。終了直後はエラーをした選手に食らいつく子どももいたが、シーズン終了という節目を汚すような行動を取る子どもはいなかった。実を言うと、ぼくはこの監督の采配が気に入らなかったので、そのことを三段落ぐらい使って書こうと思っていたけど、ここまで書いてきて、ちょっと考えを変えた。ベアーズの選手たちの立場でこの映画を観るなら、監督の采配にケチをつけるのは大人げないと思いなおした、と書いて締めくくりたい。


初出 エキサイト 6/14/2007 TH
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