"Babel"

ニュースで、アカデミー賞だ、菊地凛子だ、と言っているのを見て思い出した。ぼくは「バベル」を先々週見たのだった。同時に見た二本("Do the Right Thing" & "Jonestown")のインパクトが強かったので忘れていた。

最初の15分くらいで、どことなく雲行きの怪しい映画だなあと感じ始め、30分ぐらい経つと、持っていたポップコーンがなくなったのもあって、席を立とうかどうか迷い始めた。が、これからだんだん面白くなっていくんだろうと期待を込めてはみたものの、いつまでたっても相変わらずの調子で映画が進んでいく。何度、途中で時計を見たことか。でも暗すぎて針が読めなかった。針が蛍光で光る時計を付けてくればよかった。結局、最後まで見ましたよ。ぼくは基本的に短気な性格だが、こういう映画に2時間以上もつきあうなんて意外と我慢強いところもあるんだね。

それで、何が悪いかというと、この監督はオムニバスという様式に足をすくわれているからだ。オムニバスというのはかなり高度なメソッドでありながら、着想段階では制作者を自信過剰にしてしまう魔物なのだ。こういうストーリーをオムニバスで作ったら物凄い超大作ができるぞ、と本気で思わせてしまうような抗しがたい魅力があるのがオムニバスだ。そして、オムニバスを作るときはたいていは抽象的なテーマが真っ先に浮かぶ。キャラクターや時代、場所設定のまえに、古今東西の学者、芸術家がたちが格闘してきたような大テーマに対して自分の映画で答えを出してやろうと、そこまで意気込んでしまう。この映画だったら、旧約聖書の中のバベルの塔の話だ。これを、例えば、モロッコだけのストーリーにしたら、もっと面白くなっていたと思う。子どもが戯れで撃った銃弾が観光バスに乗っていたアメリカ人に当たった。アメリカ政府はこれをテロリストの仕業と信じ込み、モロッコ政府に圧力をかける。それは思い違いだ、事実はそうじゃない、単なる子どもの悪ふざけだ、と弁明するモロッコ政府。さらに、事件当事者たち(子どもとその親や、撃たれたアメリカ人夫婦)のもがきや苦しみ。これだけのストーリーでも十分にバベルのテーマに迫れたのではないか。


初出エキサイト 2/26/2007 Mon http://takebay1.exblog.jp/5159203/