The Ballad of Ramblin' Jack

ランブリン・ジャック・エリオット (Ramblin' Jack Elliott)を初めて聴く人のほとんど全員が、ボブ・ディランに似てると言うと思うが、それは正しくない。その反対で、ボブ・ディランを聴いて、ジャック・エリオットに似ていると言うのが正解である。エリオットはアメリカの戦後フォーク界を語るには欠かすことのできないシンガーである。系譜的に説明すれば、ウッディー・ガスリーに影響を受けて、ボブ・ディランに影響を与えたシンガーだ。ブルックリンの開業医の家で生まれ育ったエリオットは、カウボーイになろうと決心して、15歳の時家を飛び出してテキサスに行き、ロデオの一員になった。と同時に、行く先々でギターをかき鳴らしてガスリーの歌やカウボーイ・ソングを歌った。しかしながら、まだ未成年ということで家に送り返されてしまった。高校卒業後は大学に進学したが、ギターの練習やカウボーイソングの習得に精を出した。

では、カウボーイとは何のゆかりもないニューヨークの医者に家に生まれたエリオットは、なぜカウボーイになろうと思ったのか? どうやら、西部劇の映画を観たり、ラジオから流れてきたカントリーソングのライブ番組"Grand Ole Opry"を聴いてカウボーイに憧れたらしい。

大学卒業を待てず、エリオットはグリニッジ・ヴィレッジに引っ越した。まだフォーク・ブームが始まる前のヴィレッジだったが、そこでウッディ・ガスリーと出会い、家族ぐるみのつき合いを始めた。ガスリーがカリフォルニアへ引っ越しすると知ったら、エリオットも一緒に付いて行った。

1950年代にはイギリスに数年住み、Topicというレーベルから4枚のアルバムを出すと同時に、カリフォルニアで知りあったDerroll Adamsとコンビを組んで演奏した。イギリスではスキッフル(ロカビリーみたいな音楽)が流行していた時代だ。ローリング・ストーンズミック・ジャガーはイギリスにいた頃のエリオットが駅のホームで歌っているのを見たそうだ。

1958年にカリフォルニアに戻ったが、翌年にはまたイギリスへ行き、ピート・シーガーたちとツアーを回った。そしてニューヨークに戻ったら、時はフォークブームのまっただ中で、エリオットの存在はひときわ光った。ディランと会ったのもこの頃だ。エリオットはガスリーを見舞いに病院へ行ったら、先にディランが来ていたのだ。これを機に二人の交流が始まった。ディランはエリオットのレパートリーを吸収しただけでなく、エリオットの唱法、ギターテクニックまでもマスターした。その結果、フォーク・ファンの中には、ディランをエリオットの物真似と悪評するものもいた。

先日、"The Ballad of Ramblin' Jack" (2000年製作)という彼のドキュメンタリー映画を観た。エリオットの娘が監督をしている映画だが、全国を放浪し続けたエリオットだから、家庭を顧みるようなタイプの男ではなかったことは想像に難くなく、それを考えると、娘の製作動機はエリオットを、父親として記録することだったのかもしれない。

このドキュメンタリーの中に挿入されている"Don't Think Twice, It's Alright"のライブ演奏は素晴らしい。いつのライブかは分からないが歳を召されており、枯れの境地に達したような歌いっぷりが、聴く者の情感を高める。この歌の一節に、"You're the reason I'm traveling on"というのがあるが、まさしくエリオットの人生を凝縮するような一節である。この歌を作ったのはディランだが、そういう放浪の精神はガスリー、エリオット、ディランに通底した思想となっている。

Jack Elliottは本名ではない。ブルックリンの医者の家族という伝統を飛び出して、放浪するカウボーイというペルソナを付けるために、彼は自分をRamblin' Jack Elliottと名乗った。何のためのペルソナか? 特定の場所や特定のしがらみに縛られないためのペルソナであると同時に、過去のアメリカが持っていた自由の概念を現代のアメリカに甦らせるためのペルソナでもあった。大きく言えば、戦後のフォークソング・ブームがそういう文化的な役割を持っていた。ブームの始まる前から放浪カウボーイを演じていたエリオットは、その象徴であった。

初出エキサイト 2/28/2007 W http://takebay1.exblog.jp/5182123/