"Do the Right Thing" (Spike Lee)

スパイク・リーの1989年の映画。ニューヨークの黒人居住区にイタリア人親子がピザ店を構えている。もともとはイタリア移民たちが多く住んでいた地区だった頃からここで商売をしていて、付近の黒人たちには知られている。通りの向こうには韓国人経営の食料品店があるが、こちらはどうも最近ビジネスを始めたような感じだ。それから、最近はプエルトリカンたちも増えてきている。そういうわりと特段珍しいわけではない町の小宇宙を描いている。ラストのシーンには、ぼくは驚いた。いくらなんでもあれはないだろう。でも、この映画を批判しているのではない。むしろ反対で、"Do the Right Thing"は黒人たちの微妙な心理を見事に描いた佳作だ。

ピザ店経営のイタリア人オヤジは二人の息子と一緒に働いている、息子のうちの一人は黒人にたいする嫌悪感丸出しで、もう一人の方は友好的だ。店の壁には有名なイタリア系アメリカ人の写真がずらりと貼られている。オヤジはピザ宅配専用に黒人を一人雇っている。ジャッキー・ロビンソンブルックリン・ドジャースの背番号42のユニフォームのレプリカを着てピザを配達する黒人は、いつまでもピザ配達していては将来が見えないと不安になっている。彼の友達にこのピザ店の常連客がいる。いつも4人で壁際の関を陣取り賑やかに騒いでいる。一方で、この店を嫌っている黒人もいる。イタリア系アメリカ人の写真しか貼られていない壁をさして、ここは黒人居住区なのだから黒人の写真も貼ることを要求する男が現れるが、頑固オヤジははねつける。それでこのピザ店のボイコット運動を起こそうと仲間を募るが、誰も相手にしない。唯一見つけた同志がラジカセ野郎だ。こいつは、いつも大きなラジカセから大音量のラップを鳴らしてこの店に入ってきては、オヤジと大声で喧嘩している。

映画はいろんな黒人のキャラクターが出てきて、とんとんと進んでいく。そして問題のラストだが、上に書いたラジカセ野郎がヴォリュームをフルにしてピザ店に入っていく。オヤジは顔を真っ赤にして、その音楽を止めろと怒鳴る。ラジカセ野郎は聴く耳を持たない。こらえ切れなくなったオヤジはバットでそのラジカセを木っ端微塵に叩き壊す。二人は取っ組み合いの喧嘩を始める。くんずほぐれずの二人は勢い余って店の外に出ると、あっという間にやじ馬たちがまわりを取り囲んで、大騒ぎになる。パトカーが駆けつける。警官は二人を引き離す。ここまではよかったが、ボイコット青年が逮捕されて、警官がラジカセ野郎を殺してしまう。ボイコット青年と死んだラジカセ野郎がパトカーに乗せられて現場を去ってしばらく後、ピザ配達の男が、道端のごみ箱を放り投げて店の窓を割る。それで勢いのついた黒人たちがピザ店に突入し、店内をめちゃくちゃに破壊する。そして火をつける。消防車がやって来ても、黒人たちの興奮は収まらない。通りの向こうの韓国人経営の店までも破壊しようとする奴もいるが、それは寸前で止められる。ようやく鎮火し、全員が現場を去る。そこに、知的障害の男がやって来て、焼け果てたピザ店の壁にキング牧師マルコムXの写真を貼る。

この知的障害の男は映画冒頭からちょくちょく出てくるのだが、いつもキング牧師マルコムXの写真を持って何かぶつぶつ言っているというキャラクターだ。キャスティング的には脇役なのだが、かなり重い意味を持つ脇役だ。なぜかといえば、キング牧師はこの映画のような暴力を否定したのに対して、マルコムXは自衛のためなら暴力を肯定したからだ。ついでながら、二人とも暗殺された。映画が終わったあとのテロップに暴力を否定したキング牧師の、そして暴力を肯定したマルコムXの引用が流れる。だから、ピザ店襲撃・放火のシーンは、単純にこの映画を観た黒人たちを扇動する目的ではなく、むしろ、よく考えてから行動しなさい、というメッセージを放っているように思える。

ジャッキー・ロビンソンのユニフォームを着て登場したデリバリーの男は、映画の中盤から最後では、店の名前が入ったイタリア国旗の緑と赤と白のシャツを着ている。これは、この男が、このイタリア系家族(こき使われているにせよ)と黒人コミュニティの橋渡し的な役割をもっていることを暗示させる。それなのに、なぜ自分の働いている店を壊すのか。人道的にも法的にも問題であるだけでなく、個人的にも仕事を失ってっしまうじゃないか。

でも、おそらく、こういうことだろう。ひとつには、黒人どうしの距離感と連帯感のバランスが瞬間的に崩れたのだと思う。デリバリーの黒人は、逮捕されたボイコット青年や殺されたラジカセ野郎とは、ソリが合わなかった。彼らとは価値観が違っていた。しかし、暴動の結果、一人が逮捕され一人が死んだ。なのに、イタリア系白人の頑固オヤジには何のお咎めもなかった。この文脈において、デリバリーの黒人は、価値観が合わないが同じ黒人として不当な扱いを受けた二人に対して、異議申し立ての感情を抑えきれなかった。で、店のガラスをたたき壊した。もう一つには、人種とは別のことで、でも一つ目と関連するのだが、自分の将来への不安と苛立ちが沸騰したのだと思う。ピザ屋でいくら一生懸命配達をしたところで、出世できるわけでもないし、収入が増えるわけでもない。彼には小さい子どもがいる。家族を養うために、それなりの生活ができるように、今の仕事から脱しなければいけない。そういう点で、彼はボイコット男やラジカセ野郎とは違っていた。中流階級的な視点で自分の人生を見ていた。かといって、ピザの仕事を辞めてかわりに何をすればいいのかも分からない。ボイコット青年とラジカセ野郎が移送されたあとのピザ店は、彼の人生の行く先を阻む障害物の象徴のように見えたのではないか。だから、それを壊す必要があった。

"Do the Right Thing"は1989年の作品だが、この映画と似たことが1992年のロス・アンジェルスで本当に起こった、しかもケタ違いの規模で。映画では暴動はせいぜい1時間くらいで、燃えたのは店一軒、死亡者は一人だけだったが、92年のロスの暴動は4日間続き、死者は50人以上。でも、状況が怖いくらいに似ている。ロスの暴動の背景にあった人種的緊張関係は、映画とまったく同じ、黒人、ヒスパニック、韓国人、そして白人(映画では、ヒスパニックと韓国人はあまりストーリーには絡んでこないが。)この映画でも、ロス暴動の起こった地区でも、ヒスパニックと韓国人は最近、黒人居住区に進出してきた。ヒスパニックたちがそれまで黒人がやってきた仕事を取り、韓国人は食料品店などを経営して成功している(要するに、韓国人の成功は、客としてやって来る黒人たちが払う金の蓄積である)。あおりを食った黒人は、警察を象徴とする白人支配にも虐げられるという構図だ。彼らの忍耐はいつ切れるか分からない一触即発の緊張関係のなか、毎日を生きている。"Do the Right Thing"のラストは、感心できたものではないが、あえてああいう結末にすることで、アメリカの都市がはらんでいる人種的緊張をリアルに言い表している。

今夜はもう一つ映画を観た。それはまた今度書く。


初出エキサイト 2/9/2007F http://takebay1.exblog.jp/5110517/