「山椒太夫」

溝口健二の1953年大映作品。原作は森鴎外。時代は平安末期、上司に楯突いたのを理由に越後から筑紫へ左遷されることになった役人が、家族と離れることを決心した。妻と二人の子ども(厨子王と安寿)はお手伝いを連れて旅に出る。途中で親切を装った悪人にだまされ、妻は佐渡に売られ、お手伝いは海に身を投げて死に、厨子王と安寿は丹後の国に売られた。丹後の国には山椒太夫という悪代官が奴隷たちを酷使していた。安寿と厨子王はそこで10年の歳月を過ごす。ある日、二人は脱走することを決意する。安寿が見張りの人間をひきつけている間に、厨子王は脱出に成功して、国分寺に逃げ込む。そこの僧侶の計らいで、関白さまに面会の許しを得る。関白さまは、厨子王の父の件を知っており、筑紫への左遷を気の毒に思い、お詫びとして厨子王を丹後の国守に任命する。丹後といえば、厨子王兄弟が逃げてきた山椒太夫の荘園のある国である。厨子王は人身売買の禁止の命令を出す。かつての仲間たちが解放されるのを見届けると辞表を出して。母親に会いに佐渡へ向かう。厨子王は、視力を失い見るも無残な姿に変わり果てた母との再会を果たす。

ヒューマニズム。人は他人のために自分をどこまで犠牲にできるのか。厨子王と安寿の父は、管轄の地の庶民を助けるために左遷を受け入れた。山椒太夫の息子は父の非情さを目の当たりにして良心の呵責に耐えきれなくなり行方をくらました。安寿は兄の脱走を助けるために自殺した。厨子王の母は生き別れになった子どもたちのことをずっと思い続けた。厨子王は運も手伝って丹後の国の守になり、山椒太夫の権力を剥ぎ取った途端、職をなげうって佐渡に母を探しに行った。厨子王の犠牲の払い方は他の登場人物とは性質が違うが、全員に共通するのは、誰のために、何のために人生を賭けるのか、それがはっきりしていることだ。映画だから、小説だからと言ってしまえばそれまでだけど、こういう人物たちが眩しく見えてしまう。


初出エキサイト 10/23/2006 M http://takebay1.exblog.jp/4563447/