"The Goalie's Anxiety at the Penalty Kick"

邦題は「ゴールキーパーの不安」となっているが、英語タイトルは少し長くて「ペナルティキックにおけるゴールキーパーの不安」という("goalie"= ゴールキーパー)。ヴィム・ウェンダース監督が1971年に監督したこの作品は、タイトルから察せられるとおりサッカーのゴールキーパーを主人公にしているが、サッカーの映画ではない。オフサイドの判定を取らなかった審判に食ってかかって退場させられて、そのままチームを離れてどこかの街をふらつき、たまたま知りあった女を殺し、逃亡の目的で昔の知り合いの女を訪ねて居候して、警察の捜査の手が伸びてくるのにびくびくしながら周りの人間と絶えずいさかいを起こすというストーリーだ。ラストは少年サッカーの試合を観戦しながら隣の男にペナルティ・キックの時のゴールキーパーの心理を解説しながらこの映画は終わる。

カミュの小説のように成り行き的に行動する主人公のゴールキーパーは警察から逃げているのだが、この映画は探偵サスペンスではない。スタジアムを離れてからというものの、彼を取り巻く状況は突如としてカフカ的に様変わりする。ごろつきに絡まれて金をふんだくられたり、駅で無関係の嫌疑をかけられたり、潜伏先の田舎町では少年の不審死が起こり警察官の目がやたらと気になる一方で、その事件の進展と自分に対する捜査の進展を同時に新聞で逐一チェックする姿は加害者と傍観者の境界を曖昧にして、つまらないいさかいを繰り返す。

ゴールキーパーは行きずりの女と寝る。次の朝、キーパーが先に起きてシャワーを浴びた。女はその音で目を覚ます。浴室から出てきたキーパーに女が言った最初のことは、自分がお金持ちになるという夢を見たということだった。そして朝食を一緒に食べながら、女はシャロン・テイト事件のことを話す。1969年にアメリカで起きた新興宗教教祖チャールズ・マンソンCharles Mansonが女優Sharon Tateを殺した事件だ。チームを離れて救い難い疎外感と対峙しているキーパーはもしかしたら自分をマンソンになぞらえ、金のことしか頭にないこの女を不必要な存在と考えたのかもしれない。朝食のあと、女はベッドに横たわり足を開いてキーパーを誘惑する。それをうざったく感じたのだろう、キーパーは首を絞めて殺す。

このゴールキーパーは、彼自身の言葉を信じれば、代表に選ばれたことがあるほどの実力らしい。彼以外でこのことを証明する人は映画には出てこないので虚言かもしれないが、とりあえず彼の言葉を信じることにしよう。さて、そういう代表レベルの選手が試合中に起こったささいなことでチームから離れるという設定、そしてそれほどの有名選手が群衆に紛れて誰にも気付かれず町を一人で彷徨うというストーリーは、考えてみればとても不自然だ。ワールドカップの歴史を調べてみれば、西ドイツは1966年準優勝、1970年は3位、1974年は優勝、とかなり強かった。当然プロサッカー選手の社会的ステイタスは高くて、国民の憧れと希望であっただろう。そういう時代に、代表レベルのキーパーが街をふらふらして成り行きで人を殺し、田舎の町で無名でひっそり生活するという「ゴールキーパーの不安」のシナリオは現実からかけ離れすぎていて受け入れがたいものだっただろう。でもそこがウェンダースのねらいなのかもしれない。自分に対する社会的な存在感と、自分が自分に感じる存在感が一致しないといういわゆる疎外感。1960年代という実存主義の時代において、このキーパーはサッカー・フィールドを離れて群衆の中に紛れ込んで、存在の重さと軽さをもてあそぶ。でも彼は自分が背負い込んだ社会的役割に嫌気がさしたのではないし、厭世思想の持ち主でもない。いろいろな人に自分は代表チームのメンバーであることを吹聴したり、ラストの少年サッカーのシーンでは得意げにゲームを解説するなど人並みの自己顕示欲は持っている。
 
そういう意味で冒頭のシーンは示唆的だ。まずフィールドの中央付近でドリブルする選手が大きく映されて、次にカメラを引きながらフィールドの左半分をとらえる。ほとんどの選手は左半分にいるので、味方は相手陣内でボールをキープしていることが分かる。そしてカメラをゆっくり右に動かして真ん中のあたりにいる 4、5人の選手を写し、彼らがスクリーンから消えると、芝だけが写りやがてスクリーンの右端に暇そうにしているキーパーが画面の右端に小さく見える。プロサッカーチームという高レベルの集団の一員でありながら、ゴールキーパーという役割もあって、孤独を強いられる。気を抜いていたのか、キーパーは不意にゴールを決められる。そして、オフサイドを主張するためにセンターサークルの審判まで駆け寄り、暴言を吐いて退場を宣告される。

チームが強ければ強いほどキーパーは目立たない。キーパーがもっとも目立つのは、点を取られるときだ。ペナルティ・キックでは、自分が反則を犯すことは少なくて、ほとんどの場合は味方の反則を自分が肩代わりしなければいけない。不条理な役割ではある。「ゴールキーパーの不安」は、そういうキーパーの立場を社会そのものになぞらえ、キーパーの役割を放棄した主人公を新たな不条理へと誘う、そんな映画だ。


初出エキサイト 6/12/2006 M http://takebay1.exblog.jp/3735205/