高価なランニング・シューズを買う人ほど怪我をする率が高い
ランニング・シューズに関する常識は次のようなものである。
- 膝や腰に負担がかからないように、踵の部分にクッション機能が必要
- オーバー・プロネーション予防のための機能が必要。殆どの人はオーバー・プロネーションする。
- 古いシューズは底がすり減り、ゴムが堅くなり、機能性が落ちるので怪我の元になりやすい。だから、*キロごと、あるいは*ヶ月ごとに買い換えるべき。
- 上級ランナーが底の薄いシューズを履くのは、クッション機能その他の機能がなくても怪我をしないだけの筋力をもっているから。市民ランナーが同じシューズで走ると怪我をする。
ランニング・クラブに入っても、スポーツ店で店員に聞いても、ランニング歴のながい経験者に聞いても、言われるのはこれらのようなことだ。そして、どのメーカーも、走力によってシューズを分類している。マラソン4時間くらいの人はこのシューズ、5時間くらいの人はこのシューズというように製品をカテゴライズしている。速い人ほど薄いシューズ、遅い人は厚いシューズ。これが常識となっている。
ところが、数年前、アメリカでベストセラーになったクリストファー・マクドゥーガル著「BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”」 (原題:Christopher McDougall, Born to Run: A Hidden Tribe, Superathletes, and the Greatest Race the World Has Never Seen)には、これらの常識と正反対のことが書かれている。
- 高価なシューズを履く人ほどけがをする率が高い
- 底厚のシューズをはく人ほどけがをする率が高い
- 底がすり減ったシューズの方が、足には優しい
- 最高のけが防止策は裸足で走ること
- 人間の足は、プロネーションが起こるようにできている
では、市民ランナーはなぜ底厚のシューズを履くのか? 底厚のシューズを履いて足を守るという発想はどこからきたのか?
元々、陸上選手は足先で着地する走法だったとマクドゥーガルは言う。オリンピック選手もそうであった。膝をやや曲げた状態で体の真下で足を着地させていた。ランナーは足の裏のバネを使って膝や腰にかかる衝撃を緩和した。
この常識を越えようとしたのがナイキだった。ナイキは、より速く走るためにはストライドを延ばしたらいいのではと考えた。しかしストライドを延ばすには踵で着地する走法を取らざるを得ない。踵着地は膝や腰に衝撃を与える。踵だけでは衝撃を吸収できないからだ。それだったら、シューズに衝撃緩和機能を付ければいいじゃないかということで、初のクッション機能付属の「コルテッツ」が誕生した。1972年のことだった。それ以来、ランニング・シューズは、クッション機能が標準装備となり、今日に至っている。これ以降、足に問題を抱えるランナーが増えたと「BORN TO RUN 走るために生まれた」は言う。
どちらの話を信じればいいのか? メーカーが宣伝するクッション機能その他諸々のテクノロジーを信じるか? それとも、明日から裸足で走るか? 裸足で走るのは無理でも、薄いシューズに買い換えるか?
ナイキも後になって、踵着地が怪我を誘引するという事実と、裸足で練習するとタイムが伸びるというスタンフォード大学陸上部からの情報に耳を傾け、ソールが柔らかくクッション機能をとりのぞいた、裸足のような感覚ではしれるナイキ「フリー」を発売した。
もっとも、底厚のシューズを履くと必ず怪我をすると言うわけではなく、裸足に近い感覚のシューズを履けば怪我をしないと言っているのでもなく、あくまで統計的にみたらということなので、自分の好きなシューズを履いて、好きなように走ったらいいわけであるが。
「BORN TO RUN 走るために生まれた」は、足の痛みに悩まされ続けていた著者が、メキシコのタラウマラ族式の走り方を身につけていくうちに足が痛まなくなっていたというストーリーを軸に、シューズが足に悪影響を与えているという話をはじめ、人類は短距離走より長距離走に適応するように進化してきたという話、タラウマラ族との交流、ウルトラレースの体験など、複数の話が交差しながら進んでいく。
私にはランニング・シューズの話が一番おもしろかったので、そのことを詳しく書いたが、読む人それぞれに楽しみを見つけられる本だとおもう。そして、この本のすごいところは、シューズの議論に対する賛否や、魅力を感じる点は人それぞれでも、読んだあとは走りたい気持ちになるという点では(おそらく)意見が一致することではないだろうか。ランニングをしない人にも薦めたい一冊である。