学会でソウルへ、ミョンドン一日観光

先々週は学会のためにソウルに行きました。滞在日数は3日で、うち2日はまるまる学会のために会場に缶詰状態。3日目にミョンドンとよばれるソウル市の繁華街を観光しました。以下は雑感です。

  • 街の作りは日本よりもアメリカ的。住所表示方法はまさにアメリカと同じ。ストリートに番号をふる方式。表示版のデザインもアメリカのとそっくり。アメリカは緑だが、ソウルは青。車はもちろん右側通行。地下鉄もアメリカ的。金属のバーをぐいっと押して構内に入る。それから、電車内のアナウンスも必要最低限のことだけ。降りる人が先だとか、忘れ物をするなとか、幼稚園児に注意を促す親のようなことは言わない。
  • たまたまだと思うが、自転車を一台も見なかった。
  • 4,5人の聖歌隊が繁華街のいたるところで合唱している。韓国ではキリスト教がたいへん普及していて、私の知り合いにも信者という人は多い。ミョンドン駅近くにはカトリックの総本山の大聖堂が建っている。アメリカでも、韓国系アメリカ人ががじぶんたちで教会を作って、そこに留学生の韓国人なども集まってコミュニティの核にしているのは知っていたから、驚きはなかったけれど、これほどにまでキリスト教が東アジアの国に根付いた歴史的経緯には歴史研究者の端くれとして興味あるので、本を探して読んでみたい。
  • 英語が通じる。若い人やスーツを着ている人に道を尋ねると、的確な英語が返ってくる。教科書に載っている基本フレーズをきっちり使って、行き方を教えてくれる。この点、残念ながら日本ではこうはいかない。
  • 韓国料理をたっぷり堪能した。どれもおいしいかった。中でも気にいったのは、(漢字で書けば)参鶏湯という料理。鶏まるごとを鍋に入れて煮込み、高麗人参やナッツ、ライスも一緒に煮込んだ料理。
  • 同伴した方の希望によりマッサージ店へ。歩いていると、マッサージ店のチラシをどんどん渡されるほど乱立している。ほとんどが日本人旅行者を相手にしていると思われる。チラシを見比べて決めた店は雑居ビルの7階。着替えをした後に通された部屋は、簡易ベッドが10台ぐらいぎっしりと置かれていて、すでに先客がそのうちの何台かのベッドで施術を受けていた。見た瞬間の印象は、野戦病院。横になって手を伸ばせば、隣のベッドの人に触れてしまうほどの間隔しかないので、マッサージ師が移動するスペースも充分なく、ベッドをギーギーとずらしてマッサージする位置を変える。技術自体は上手だった。
  • 会話は英語や日本語が通じるのでよいが、ハングル文字が読めないとかなりしんどい。今回は、学会参加者の韓国人研究者や、ハングル文字が読めて韓国語が話せる日本人が一緒だったので、全部お任せ状態で楽だったが、一人で移動するとなると、かなりストレスになること間違いないと思った。
  • 学会はソウル国立大学のコンベンション・センターで行われた。宿泊ホテルがその前にあったので移動に便利だった。キャンパス探索をする時間もなかったが、キャンパスマップと、わずかながら実際に歩いた感覚を総合すると、かなり広いキャンパス。私の在籍したアメリカの大学は、国内有数の敷地面積を誇っているが、それよりよりも広いと思う。それから、学会のテーマは「アメリカと東アジア」。知らないことをたくさん学べた。とくに韓国とアメリカに関するペーパーをたくさん聞けて多くの刺激を受けた。私が発表したのは、60年代後半から70年代始めにアメリカの若い世代が禅や仏教などの東洋文化に興味を示した現象について。

関空からインチョン国際空港まで1時間20分。こんなに近かったとかとびっくりしました。ビジネスなら日帰り圏内です。格安航空会社のピーチに乗ったのですが、これくらいの時間なら窮屈な席でも我慢できます。むしろ、乗務員の行き来が少ない分、通路側の席の人には良いかもしれません。

もっと滞在できれば、板門店や王宮など、観たかったものはたくさんあります。次の機会を待ちたいと思います。