大量に文章を書くためのPFU Happy Hackingキーボード

たかがキーボードに3万円も払う価値があるのだろうかと思いながらも、入力効率が上がるのなら安い買い物だと自分自身を説得して買った。期待どおりで大金はたいた甲斐があったと言えそうだが、よいことばかりではない。買って良かったと思うことはその打ちやすさ、というか打つ際の感覚だ。このキーボードは、初期のキーボードがそうであったように、打ち込みが深い。そしてキーを叩くときの沈み具合がとても軽い。昔使っていた親指シフトのキーボードの感触と似ている。打ち込みが深いことで、文字を叩くリズム感が生まれる(リズミカルな運動は脳のセレトニンの分泌を促進するらしい)。このリズム感がたぶん打ち間違いを減らし、文章を作る際の脳のストレスを減らすのだろう。また、キー自体は軽いので指にかかる筋力的な負担もあまりない。

しかし、困っていることもある。キー配列が特殊なために一部のキーでは複雑な操作を強いられることだ。その代表的な例はカーソルを移動させるときで、ファンクションキーを押しながら、文字キーに割り当てられているカーソルを押さなければいけない。もう一つの困ったことは、Macのキーボード操作だとできることがPFUではできないものがある。例えば、Macでは<ファンクション+F3>で、開いているウィンドウ全部を見ることができるが、PFUではできない(もしかするとできる方法があるのかも?)。あと困っているのは、「」が『』に勝手に変換されてしまうこと。

また、職場のMac以外にも、ラップトップのMacや、自宅にあるiMacでは附属キーボードも使うので、感覚が狂うという問題もある。

いろいろと不満はあるにせよ、文字入力に限るならこのキーボードは優れている。3万円はたしかに高かったがが、長文を書く機会が多い私としては、文字入力の質を高めたかったのでまずまず満足している。

「アルジェの戦い」

1950年代から60年代に起こったアルジェリアの独立闘争を描いた映画である。1966年制作。

フランスは1830年代からアルジェリアをフランス本国に組み込んで統治した。本国からアルジェリアに移住する人も多く、アルジェリアには白人社会が確立していた。

旧植民地が宗主国との戦いをつうじて独立を勝ち取るというのは、1950年代、1960年代に見られた世界史的な流れだった。アルジェリアも独立を目指したが、フランスはすでに白人社会が確立していたアルジェリアの独立に反対した。

アルジェリア側の抵抗が激しさを増したのは1954年で、アルジェリア解放戦線(NFL)が結成したときからだった。NFLはゲリラ戦術でフランスを苦しめた。このあたりは、この映画見れば分かるように、テロリスト集団とと化したNFLが手段を選ばない方法で独立への道を切り開こうとする。フランス国内でも、徐々に政府に批判的な言論が現れた。サルトルアルジェリア独立を支持し、世論形成に一役買った。

旧植民地の独立を描いた作品ではあるが、いわゆる左翼リベラリズムが賞賛するような映画ではない。映像のほとんどは、フランス側の取り締まりと、アルジェリア民族解放戦線が繰り広げるテロリズムの描写に当てられているからだ。フランス側のNFL組織壊滅のために行うアジトの爆破などが描かれるだけでなく、民族解放戦線もフランス人警官を殺害したり、カフェや空港に爆弾をしかけるテロリズムで応酬する。要するに、「アルジェの戦い」は、この種の歴史が語られる際のステレオタイプな描写にありがちな、宗主国の非人間性と、植民地の人間的純朴さや無垢な被害者という構図ではない。フランスも残忍なら、アルジェリア民族解放戦線も残忍なのである。そこにモラルの優劣はない。

だから、この映画には人間ドラマ的な要素が皆無である。友情、愛情、信頼といった人間関係が現れない。ひたすら、支配側のフランスと被支配者の民族解放戦線の血には血で応酬する闘いが、淡白に描かれる。

映画は、民族解放戦線の組織が根絶されるところで実質的に終わる。そのあとは、テロップで組織根絶後の二年後に民衆の自発的な独立要求デモが起こり、フランスが承認したことが知らされる。

独立をめぐる闘争は、民族自決植民地主義からの脱却などのイデオロギーありきで見てしまうと、美しく見えるのかもしれない。しかし、歴史的経緯や弱者への思い入れ抜きで見ると、残酷というより他に言葉がない。

佐野元春 & THE COYOTE GRAND ROCKESTRA - 35TH.ANNIVERSARY TOUR FINAL 

35周年記念ライブのDVD。2016年3月のコンサートでの演奏を全収録、35周年なので35曲。
3時間を越える演奏。1曲(「君を探している」)を除いてアレンジの大胆な変更はない。それに全体的に楽器演奏が抑え気味なので、佐野のヴォーカルをじっくり味わえる。たとえば、The Visitorsの曲なんかは、今の佐野の声で歌われると、オリジナル・アルバムが放っていた硬質さとは違った味わいがある。それをどう表現したらよいか、適当な言葉が出てこないのだけれど。
この35周年DVDの佐野の歌はほんとうにいい。15 年くらい前、声が出なくなったことがあって、その時以来、新作アルバムは聞くものの、ライブ映像は恐くて見なかった。でも、そういう心配はもうしなくていい。この35周年のコンサート映像を見れば、そんな心配は完全に吹きとんだ。
ハイライトはいくつかある。往年のファンには80年代の人気曲で押しまくるコンサート後半はたまらないだろう。新しいファンには、最新アルバムBlood Moonほかコヨーテ・バンド時代のアルバムからの選曲かもしれない。
佐野元春、今が全盛期。

マイケル・ラング「ウッドストックへの道」

あまりにも有名な1969年ウッドストック・フェスティバルの回想記。3日間にわたり、多くの有名ミュージシャンが演奏して、20万人とも30万人とも言われる人がニューヨーク州の田舎にまで見に行った。著者のマイケル・ラングは準備・運営の中心的役割を担った。

ウッドストックのことを、愛とか自由のスローガンのもと、ゆるーい感じで企画されたロック・フェスティバルだったという認識をしている人がいるかも知れないが、この本を読めば実際は全然違ったということがよく分かる。あれだけのイベントを実現しようとすれば、並大抵の労働ではできない。たしかに、当時の白人中流階級の大学生世代の理想主義を見事に体現したという部分はあって、それがこのフェスティバルに歴史的意義を与えていることは否定しない。しかし、ラングたちが成し遂げたことは、ロック・フェスティバルという新しい音楽ビジネスだったのだ。これこそが、このイベントの真に偉大だった点だ。会社組織を作り、株の発行、定款みたいな書類をつくるところから始めて、資金提供者を見つけ、場所探し、地元行政との折衝、アーティスト招集、ライバル・プロモーターの出現、ロジスティックス、会場設置、チケット販売、とやることを数え上げればきりがない。気合いと理想、そして仲間内のノリで、成功するような甘い話ではないことだけは確かだ。

まだ音楽フェスティバルというイベントが非常に珍しかったので、ノウハウが出来上がっていなかった。たとえば、入場者を総計20万と見積もった場合、仮設トイレは一体何個必要なのかということから具体的に決めていかなければいけなかった。この点についてラングは国防省にアドバイスを求めるべくアポを取ったという下りは笑える。単純に真面目な発想なのか、ヒッピーお得意の権力おちょくり精神の発揮なのか、どちらとも判断しがたい。

裏話のようなエピソードも満載だ。すでに知られているネタもあると思うが、例えば、各アーティストのギャラの額が具体的に描かれているし、出演オファーを出したが断ったアーティストとその理由も書かれているし、誰と誰が喧嘩したとかも実直に書かれている。殺虫剤としてDDTレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で危険を知らしめた殺虫剤)を散布したら、ニューメキシコ州からやってきたコミューンに叱られたとか。本当?

内容は文句なく面白いのだが、日本語版の編集が雑なのは残念だ。背景知識を持たない読者のために、人物や地名、文化的な単語には解説を付けてほしかった。たとえば、「ジョイント」って言われても、普通は知らない。「ヘッド・ショップ」を分かる読者はどれだけいるのだろうか。翻訳で、明らかな間違いもある。「社会リサーチのニュースクール」というのが出てくるが、これはNew School for Social Researchという大学を指す固有名詞だ。それから、全体の傾向として、日本語を充てるのが難しい単語はカタカナで逃げている。「エンタプライズ」や「ストリートワイズ」などを見て、意味がピンと来る人は少ないだろう。原文は普通の英語だし、けっしてトム・ウルフのようなぶっ飛んだ文体ではないので、律儀に日本語に訳して欲しかった。

ともあれ、ポップ音楽史に輝く歴史的イベントの記録なので、ぜひとも実際の映像を合わせてみてもらいたい。本の最後の方の章は、それぞれの日の登場アーティスト順に記述されているので、ラングの解説を読みながら映像を見れば、楽しいこと請け合い。で、私もDVDを注文したところ。

バロウズ「ジャンキー」

近所の公立図書館で見つけた。ウィリアム・バロウズの最初の小説ということになっているが、麻薬中毒者として生活した頃の自叙伝である。懐かしさと、最近某有名人が覚醒剤所持で逮捕されたのもあって、ひさしぶりに読んでみた。思い返せば、二十代で「ジャンキー」を読めたのは幸運だった。そのころはそういうものに好奇心があり、いろいろと文献を読みあさった。どんなものを読んだかというと、オルダス・ハックスレーティモシー・リアリーボードレールなどの体験記だった。それらを読むと、確かに魅力的な事が書かれている。感覚や意識が研ぎ澄まされて、いかに人間の意識が社会によって抑圧されているかなど、妙に理論的で社会批判が含まれていたりする。

ところが、「ジャンキー」を読んで、麻薬に対する一切の幻想を捨てることができた。なぜなら、バロウズ麻薬中毒者としての生活が、かなりばかばかしいということが分かったからだ。ヤクを使用することに大義名分なんかあるわけではなく、たまたまそういうものに嵌ってしまって、抜け出そうにも抜け出せない。それだけのことが書かれている。ヤクを使用したときの感じや、中毒症状の様子も書かれているが、ぜんぜんかっこいいとは思わない。バロウズ自身も彼の仲間たちも、誰一人としてまともな人物はいない。そういうことが分かったという理由で、個人的には貴重な本だ。話が面白いからではなく、登場人物たちが面白くなかったからという理由で。

「ジャンキー」の文学史的な意義については、文庫本の解説に書かれてあるとおりだと思う。1953年の出版としては、かなり過激である。友達のアレン・ギンズバーグの「吠える」が猥褻だとして裁判になったのが1957年だから、ヤク中の生活(ようするに犯罪者集団)をリアリスティックに描いた同書が出版できたこと自体がすごい。それから、その後のバロウズの作家としての軌跡を考察するうえで、彼の実体験をこの本で読めるのは貴重である。

キンドルの買い替え

キンドルWiFi(一番安いモデル。8980円)に買い替えました。これまでキンドルFireを使っていましたが、自分としては使いにくいので買い替えました。不便な理由は、Fireでは重くて大きいので片手での操作がしんどいことに尽きます。今日届いたキンドルは読書専用で、軽いし片手で操作できるので、電車で片手で鞄を持っていても、立った姿勢でも読めます。ジーンズのポケットに収まります。画像の質ですが、文字を読む分には十分です。でも、漫画や細かい画像を見るのなら、粗く映るかもしれません。

Fireを買った動機は、エバーノートやカレンダーなどの他のアプリを使えるからでしたが、動きが遅いし、操作がしにくいことがわかり、使うのをあきらめ、もっぱら読書用にFireを使ってきましたが、なにせ重いし大きいしで、持って出かけるのがついつい億劫になっていたのです。

今回キンドルを買い替えて、思いがけなくある問題を解決することもできました。3年ほど前から気づいていましたが、解決法が分からず放置していた問題です。それは、すべての本のハイライトをウェブページに表示できるようになったことです。ハイライトをウェブページに表示させる方法は、https://kindle.amazon.co.jp/ に行くわけですが、私の場合、このURLに行ってログインしても、買った本のうち1冊だけしか表示せず、困っていたのです。今日、新キンドルの設定で自分のアマゾン・アカウントをいじっている最中、この問題の解決を試みるためにあれこれ検索しているなかで、「上記のURLがダメなら、https://kindle.amazon.com/、からログインする」と書いた記事を見つけ、試したら、見事、自分の本がすべて表示されました。ハイライトもすべて見ることができます。

はっきりした理由は分かりませんが、私の最初のキンドルは日本のアマゾンがキンドルを発売する前に、amazon.comから買ったもので、日本でキンドルが始まったとき、アカウントを日本に統合したのですが、おそらく、その際の混乱があったのでしょう。結果オーライです。

<付記>
画面が暗いということに、知り合いが持っているKindle Paperwhite(14280円)を見て気がついた。Kindle(8980円)には内臓ライトがないためで、当たり前といえば当たり前。いっぽうで、キンドルを印刷された本だとみなせば、そもそも紙は光ったりしないものだから、暗いのは当たり前。スマホタブレットで明るい画面に慣れているので、スクリーンが光らないKindle に違和感を感じるのだろう。明るい画面が好みであれば、Kindle Paperwhiteを買うべし。明るさの調整をしたければ(スマホでやるように)Kindle Voyageを買うべし。私としては、暗い場所でまで本を読もういう気持ちはないので、内臓ライトのないKindleでじゅうぶんだ。(追記:下のリンクは最新モデのキンドルで、内臓ライトが付いている。ライト無しのモデルはもう販売されていない、2019年8月22日)


アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」第1巻

パーソナル・コンピューターの発達や、ジョブズが育ったベイエリアの文化的環境が、丁寧に書かれている。個人的には、ジョブズ自身や伝記的な生い立ちよりも、カウンターカルチャーニューエイジや、パーソナル・コンピューター誕生に関心があるので、じゅうぶん役に立った。経営者としてのジョブズよりは、PC産業の発展がジョブズを中心に語られているという感じか。

「アップルI」の話は第1巻の3分の1くらいのところで出てくる。私の関心はここら当たりまでにあるので、それよりさきは読んでいないが、ここまでの書きぶりから想像するに、著者のアイザックソンはジョブズの人生だけでなく(彼の変人ぶりもたっぷり紹介されている)、PC産業史にもじゅうぶん配慮をしているような印象を受けた。

ジョブズカウンターカルチャー的ライフスタイルにぞんぶんに浸っていたような書かれ方をしていることは意外だった。それから、ベイエリア軍需産業の関係も、具体的な企業名(ヒューレット・パッカードなど)が出てきて面白い。パーソナル・コンピューターの歴史をおさらいするにも良い本だと思った。