「灰とダイヤモンド」

言わずとしれた、アンジェイ・ワイダ監督の名作「灰とダイヤモンド」(Ashes and Diamonds)。1945年5月8日、ナチスドイツが降伏した日のポーランドの首都ワルシャワの一夜を描いた作品で、平和とは? 自由とは? 祖国とは? を問いかける名作ではあるにはあるが、どこかそういう熱いテーマとはズレた部分もある。その理由は主人公マチェックのキャラクターによるものだ。

マチェクは反共地下組織の一員で、ドイツの侵略は今日で終わったものの、次にはソビエトの手が伸びてきている。マチェクの任務はソビエトからやって来た要人の暗殺なのだが、まず映画の冒頭からして大ヘマをやらかす。赤の他人を殺してしまったのだ。悪役ヒーローにしても、こういう失敗は普通は犯さない。狙った獲物は確実に仕留めるというのがヒーローの条件であるのに、マチェックはいきなり大失敗をする。

通常のヒーロー像とは違うという点を意識して映画を観ていくと、いくつかの興味深いことに気付く。まず、マチェックのかけている眼鏡。黒いセルぶちの眼鏡をかけているが、ふつうヒーローは眼鏡をかけない。眼鏡をかけたヒーローといえば、後の時代でもバディ・ホリーアレン・ギンズバーグくらいしか思い浮かばない。

泊まっているホテルのバーで働いている女に一目ぼれして、仲が発展するあたりは、いかにもヒーローぽっくっていいのだが、結構いい仲になったと思った途端、マチェックはキスを迫って、拒まれる。普通ヒーローなら、こういうカッコ悪いところは見せない。しかも、このキスを拒否されたあと、監督のアンジェイ・ワイダは、深い意味があるのか、現場で突然思いついた悪ふざけなのかしらないが、白い馬を登場させて、マチェックの前をのそのそと歩かせる。これによって、マチェックはなんとも間抜けな存在になってしまう。

それから、マチェックには大義がかけている。なぜ地下政治組織に入ったのか、よくわからない。ぼくの想像だが、なんとなく成り行きで入ったような感じがする。それだからか、不屈とか冷淡とか、そういう特別な存在だという印象をほとんどあたえない。そこらへんにいる若い男という以上の印象がない。だから、バーの女を好きになった途端、自分の政治活動にたいして疑問を持ってしまう。

最後のシーンでは警察に追われるのだが、手か足に弾が当たり血が出る。マチェックは、自分の体から出た血をなめて、ゲッというまずそうな表情を見せる。これもヒーローらしからぬ行動だ。

「灰とダイヤモンド」は1957年の制作で、アメリカ公開が1961年。昔ながらのヒーローは依然健在だったが、一方で大衆的なヒーローも出てきていた時期なので、マチェックのようなキャラクターはさほど違和感がなかったのかもしれない。ぼくとしては、そういう滑稽なヒーロー像がひどく気になった映画だった。