感謝祭

知り合いの人が、自分はカトリックの大家族で育ったから、感謝祭の日(Thanksgiving Day)はは大きなテーブルで豪勢な料理を食べるのよ、と言っていたので、そういうものなのかと思いながら、自分は何年もアメリカにいながら、感謝祭が一体何なのか知らないままでいたことに気付いた。なにしろ、最近ようやくハロウィン(10月)と感謝祭(11月)の区別がついてきたところなのだ。ちょうど新聞に、感謝祭にまつわる短い記事があったので、少し勉強した。

1620年イギリスからやってきたピルグリムたちが、翌年の1621年に最初の農作物の収穫を祝ったのがそもそもの起こりで、宗教的な意味合いはあまりなかったらしい。そして、すでにその地で生活していたインディアンたちが、彼らに鹿五匹を差し上げたのが感謝祭の起源らしい。現在では感謝祭といえば、七面鳥を食べるのが風習になっているが、このときは、七面鳥は出されたがサイドディッシュ扱いで、インディアンから頂いた鹿の他に、アヒル、ガチョウ、魚が振る舞われた。

インディアンが鹿をプレゼントしたことから、俗説では感謝祭をピルグリムとインディアンとの和平の印だとしているが、事実はそうではなく、両者の争いはキング・フィリップの戦いで一応の決着がつくまで50年続いた。

感謝祭が大々的な行事になったのは南北戦争の最中で、リンカーン大統領が11月の最後の木曜日を国民の祝日に定めた。のちに、フランクリン・ルーズベルト大統領が、11月の最後から、最後から二番目の木曜日に変更した。この時から、現在のような商業主義丸出しの感謝祭に変質した。なぜかといえば、大恐慌の最中だったので、ルーズベルト景気対策として小売り店の売上増を狙ったのだ。最後の週から一週間前に変えた合理的理由はわからないが、多分、日を移動することで国民の関心を惹きつけるとか、翌月にクリスマスがあるので、少しでも日を離すとかの理由だったのではないかと推測する。

俗説は宗教的意味合いを強調しているから、たとえば1621年の最初の感謝祭では全員がリネンをかけた大きなテーブルに座って、フォークとナイフと使ってお行儀よく食事を頂いたということになっているが、事実はどうやら違っていて、リネンはなく、イスも全員ぶんなかったので、ほとんどの人は立ったままで動物を焼いている火を囲んだ(寒さ対策からもこれは理解できる)。ナイフはあったが、フォークはまだ発明されていなったので、ナイフと手をつかった食べた。それから、俗説では酒は飲まなかったということだが、これも嘘で、獲れたての麦でつくったエールを呑んだ。ほかには、インディアンはピルグリムたちが持ち込んだ高度な文明に感心したというのも広く信じられているみたいだが、かならずしもそうではなかったみたいだ。確かに丈夫な靴や衣類などは強い印象を与えたようだが、彼らは新天地の自然環境を生き延びる知恵に欠けていた。

うんちくはここまでにして、今日の新聞はすごかった。いつもは日曜日にたくさんの店の売り出しの広告のチラシが入ってくるが、明日は感謝祭セールということで、いつもの日曜の倍の量のチラシが入ってきた。家電店のチラシをみれば、特売品はたしかに安い。ラップトップが300ドルとか、日本ブランドのカメラが100ドルとか、明日行ってみようかと思いチラシをつぎつぎに見ていて目を疑ったのだが、感謝祭セールは、早い店では朝の5時から始まる。5時開店ということは、社員は4時出勤だ。客だって5時の開店に間に合いたければ、4時起きだ、いや、5時に店に着いたのでは遅いかもしれない。目当ての特売品はとうぜん数に限りがあるから、開店前に着いて並んでいなければいけないかもしれない。感謝祭を景気対策として活用したルーズベルト大統領は、朝の5時から店が開店する光景を想像したのだろうか。