No Country For Old Men

町の南のはずれにある映画館は、火曜日は特別割引で$3.50なので、出来栄えがよいと評判のコーエン兄弟の最新作「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」を観てきた。アメリカの映画館は安くていい。$3.50で、Tempur-Pedicのシートに座って、しかもがらがらという最高の環境で、この怖くて怖くて仕方ない映画を観た。でも、「ノーカントリー」はたしかに観ているときは怖かったけど、見終わって落ち着いて考えてみれば、いろいろズレていて、そのズレがなんとも滑稽でもある。

ハンティング中に、麻薬取引のいざこざから起こった大量銃殺の現場で大金を見つけたモスという中年男。そこまではよかったが、妙な人の良さを出してしまう。銃殺の現場に一人だけかろうじて生存していた男がいて、その日の夜、ガロンのボトルに水を入れて、現場へ戻ってその男に水を差し入れてやろうとする。案の定、麻薬売買組織一味に見つかってしまい、車の番号から身元をわられる。そして、金を持って逃亡生活を余儀なくされる。普通は金だけもらって二度とこの現場には近寄らないのが知恵というものだが、このモスという男は怖い物知らずといえば聞こえは良いが、また人間味溢ると言えば好ましい人物に聞こえるが、現実的に見ると感覚が相当ズレている。

それから、モスに奪われた金を奪い返すために雇われたシガーという殺し屋。自分の任務を達成するためなら誰でも殺してしまう。その殺し方がなんともえげつない。一体何人殺したのか、ちょっと正確に思い出せないほど、無差別に殺していく。殺人という点ではプロである。例えば、モスが潜伏していると信じて、あるモーテルの部屋に突入すると全然関係のないメキシコ人三人がいて、矢継ぎ早に二人を射殺、残った一人はバスルームの浴槽に逃げる。シガーはシャワーカーテンを閉めて銃を一発はなつ。返り血を浴びないためだ。

そして年老いた保安官。モスの身を案じ、シガーを捉えようとする動機はよいのだが、いかんせん手段にとぼしい。犯人のシガーを追いかけてはいるが、馬に乗って現場検証するだけで、とても捕まえられそうにない。モスの妻と会うのはいいが、そんなことしか方法が思い浮かばないようだ。これがニューヨークやロサンゼルスの警察なら特殊部隊を使って、シガーを銃殺しているだろう。警察が組織とテクノロジーを使えば、シガーみたいな単独犯は一発で仕留められるはずだ。こんなに犠牲者が出なくて済んだ事件なのに、この保安官、ぶつぶつといろんな人に世の中の変化をぼやくだけで、一方でどんどん人が殺されていく。効果的な手段をとればいいのに、そうするだけの機知に欠けているのか、昔ながらの保安官という職業意識にしがみついているのか、映画としては善人のキャラクターなのだが、プロフェッショナルではない。まとめれば、動機は正しくとも手段に欠けているので全然仕事が片づかない保安官と、動機は汚いが手段を選ばずどんどん仕事をこなしていくシガーという構図が見えてくる。

ここはテキサスの砂漠地帯。時代はいつごろだろう? はっきり分からなかったが、モーテルの宿泊代が26ドルから28ドルくらいだったのと、走っている車の型、そしてメキシコ人がかなり移住していることから想像すると、1980年代か70年代の終わりだろう。保安官が嘆くのは、こういう時代の変化である。事件の発端となった麻薬の密売もメキシコ人どうしのものだ。映画の最後で、モスがシガーに射殺される。保安官はその夜、現場検証の終わったそのモーテルの部屋に一人で入る。そこにはシガーが潜んでいるのだが、何をしに行ったのか分からない。ため息をついたぐらいだ。

時代についていけない保安官、変な優しさを持ったがために最後は殺されたモス。そして生き残ったのはシガーである。最後のシーンは、保安官が顔見知りの友人の家に言って、例のぼやきを始める。そういえば、「ノーカントリー」の冒頭も、この保安官のモノローグだった。映画の最初から最後まで変わらない保安官のぼやきを社会正義の一表現として解釈すれば、これまた違った見方ができようが、ぼくのように保安官のぼやきを現実不適応の一表現として解釈すると、「ノーカントリー」は、そのズレかたを楽しむことができる。でもそんなことを思ったのは、映画を見終わって家についてからで、見ているときはほんとうに怖かった。