オリンピックいよいよ終幕

アメリカのメディアの記事の配信は本当に早い。ソフトボール勝戦が終わった2時間後には、APが1000語くらいの詳細記事を書き上げている。試合の経過をつづっただけではなく、試合後の両チーム選手のコメントと、試合のポイントだった6回のアメリカの攻撃について、遠回しに批判しているような微妙な言い回しもふくんだ内容だ。そして、いつも感心することだが、全然感傷的じゃない。

日本のスポーツ中継が、やたらと「気持ち」「思い」「意地」などを連発するのは、そういう根性系の物語が好きだからだと思っていたが、考えを変えた。ゲーム自体について喋る内容をもってないから、そういうことを喋るしかないのだ。ソフトの解説がその典型だった。アナウンサー、解説ともにひどかった。準備してないのがばればれ。最終回、アメリカが先頭打者にピンチヒッターを使ったことくらい気付いてほしい。

例えば、選手が「相手のほうが勝ちたいという気持ちが強かった」など敗戦の弁を述べるのは問題ない。しかし、実況中継が自分の意見としてどうして同じことを言うのか。試合そのものを語る言葉、伝える技術を持っていないからだとしか答えようがない。

でもやっぱり、中継現場がそういう技術養成を必要と思わない何かしらの合理的理由はあるはずだから、探してみると、思いつくことはある。先に書いた根性系物語の続きになってしまうが、日本のスポーツ中継には部活的なノリがある。つまり、頑張っている人を応援してあげようという気持ちのことである。だから、選手がいかに頑張っているか、私たちはあなたを応援しているんですよ、ということを言葉にしてしてそれでよしとしてしまう。でもそれでは実況中継は応援団か身内関係者と変わらない。

野球の準決勝、三位決定戦を観ると、たしかに主審のストライク、ボールの判定が不安定だった。日本の野球だったら、絶対に選手や監督が抗議に行ってただろう。そうやって日本では、成り行きによっては退場を宣告されることもあるわけだから、そういうふだんどおりの野球をやればよい。サッカーの退場とは違い、野球の退場は戦局に直接影響はない。国際試合ということを過剰に意識してしまい、お行儀よく野球をやろうとしたことが惨敗の部分的原因にはなっていると思う。日本語の通じない審判に刃向かっていくのが怖かったのか、星野監督も国内では強面でならしているが、一歩外へ出るとこの程度か。

普段の日本の野球と違うということで言えばもう一つ。球場が静かすぎて、アドレナリンが出なかったのでは? 日本だと、カネ太鼓の鳴り物入りで、かっとばせーという声援が飛ぶ。そして人気のないチームでも週末なら二万人を超える観客がいるのが当たり前だけど、あの北京の球場はずいぶんすーすーしていた。テレビで観た限りで言うと、あの球場の雰囲気はアメリカのマイナーリーグの球場の雰囲気とそっくりだ。そういう意味では、マイナーリーグの選手で構成したアメリカチームは、違和感なく試合に臨めたものと想像する。

400メートルリレーの銅メダルは希望だ。日本人がトラック競技で勝つにはこれしかないという方法を実践した。今回は強豪国がバトンを落としたという幸運もあったので、次に向けて、コーナー専門のランナーを二人養成して、あとはバトンの受け渡しで画期的な技術を編み出して、本当の意味でアメリカなどの強豪国と勝負してもらいたい。