Odetta

先日ミリアム・マケーバが逝去したが、今度はオデッタ死去のニュースが入ってきた。ロスアンジェルス育ちで、クラシックの訓練を受けたオデッタは、フォークにはもともと興味がなかったが、1950年ごろからクラシックよりもフォークやブルースに関心を持つようになった。独学でギターを学び、サンフランシスコに行き、hungry i という有名なクラブで歌うチャンスを得た。次にはニューヨークのBlue Angelに出演することとなり、そこでピート・シーガーやハリーベラフォンテと知り合った。デビュアルバムは1956年、TraditionからOdetta Sings Ballads and Blues というタイトルで出した。57年にはシカゴのGate of Hornという有名クラブでのライブ音源をレコードにした。そこからあとは、人気シンガーとしてあちこちで引っ張りだこで、北米ツアー、タウンホール(NYC)コンサート、TV出演、そして60年にはVanguard に移籍。Newport Folk Festivalの常連でもあった。

60年代のオデッタは、civil rights movementとの関連で語られることが多い。63年のワシントンマーチでは"I Am On My Way"を歌い、モントゴメリーのバスボイコット事件のローザ・パークスをして、「オデッタのすべての歌」に影響を受けたと言わしめた。

リトル・リチャードやバディ・ホリーが好きだったボブ・ディランが、フォークに魅かれるようになったきっかけの一つがオデッタだった。

50年年代、60年代初期のレコードを聴く限りでは、オデッタはほとんど独唱に近いスタイルで歌い、楽器を伴ってもギター一本を控えめに使った。手拍子でリズムを取りながら歌うスタイルがぼくのお気に入りだ。

活動はごく最近まで続けていた。2007年4月にはカーネギーホールブルース・スプリングスティーンのトリビュート・コンサートに出演して、彼の"57 Channels"を歌った。