走れタカハシ

昨日は午前午後ともマラソンずくめだった。午前中は自分が走った。近くの市のレース大会に出て、15キロを走った。目標時間内に走りきれたのでよかった。いつもは一人で走っているから、大勢の人の足音や息遣いが聞こえるレースでは自分のペースを失いやしないか心配だったが、終始冷静さを保てた。自分より年配の人や女性に抜かれてもムキにならず、自分は自分と言い聞かせて走った。じっさい、一般向けの長距離レースでは、年齢性別は関係ない。どれだけ日頃訓練しているかが成績を左右する。だから年上の人や女性がぼくを抜くのは全然不思議ではない。唯一、対抗心を燃やしたのは、同じシャツを着ている人を前方に見つけた時で、これはぜったいに抜かしたいと思った。それ以外は、自分のリズムと時計に集中した。10キロ通過時点のタイムから、目標を突破できる見通しが立ったので、残りの距離を無理にスピードを上げる必要もなく心理的には楽だった。ただ、普段の練習以上の距離を普段以上のスピードで走ったわけだから、肉体的には無理をした。今日と明日ぐらいで疲労の具合を観察することになる。

午後は名古屋女子国際マラソンの中継をテレビで観た。高橋尚子が一般参加で走るので、それを見たかった。ぼくは、高橋をトップランナーの一人としてだけでなく、それまでのマラソンの概念を一人で変えてしまった偉人だと思っているから、いわば引退試合のようなレースで、どれくらい真剣に走るのか興味があった。ぼくが心のどこかで期待していたことは、高橋が真剣勝負を挑み、日本人最高位でゴール、はたまた優勝してしまったら面白いのにということだったが、果たして高橋は終始集団から離れて走り、笑顔を沿道の人たちに振りまきながら最後まで走った。それでも2時間52分で走りきった。勝負を挑んで欲しかったと心名残でもあるが、すでに引退を表明した身であり、2時間30分を切ることができなくなったから引退したのだ。無残な負け方をする必要もない。実際に去年の名古屋で、高橋は早々と失速してしまい、北京オリンピックの枠を取り損ねたのだ。他の選手が真剣に走っている中で高橋一人が笑顔全開で走る姿には拍子抜けしたというのが最初の感想だったが、あれはあれで良かったと思う気持ちが徐々に大きくなり、今ではこっちの気持ちの方がずっと強い。これまでのマラソン選手で、沿道の声援に笑顔で答えて走ることが似合うような人はいただろうか。あれは高橋にしかできない芸当だ。強いだけの選手なら過去に何人もいたが、マラソンとは耐えて耐えて我慢するものだという固定観念を覆した選手というのは高橋をおいて他にいない。だから、昨日のスマイルマラソンは、高橋の偉大さをとてもわかりやすく見せてくれたと、今ではそう理解している。