"It's a Wonderful Life"

クリスマスにテレビで見た映画。クリスマスに放映するのだから、それに似つかわしい内容である。1946年のフランク・キャプラ (Frank Capra) の作品。邦題は「素晴らしき哉、人生!」。小さな町に住むジョージを主人公にしたホーム・コメディ。自分は自分のやりたいことがあり、そのためにニューヨークへ行こうとした矢先、父が急死し、父のやっていた住宅ローン貸付の経営を引き継いだジョージの奮闘ぶりが描かれている。高校の同級生と結婚したのは良いが、新婚旅行の日に取り付け騒ぎが起こり、新婚旅行の費用を顧客からの引き出し請求に充てる羽目になったり、町の有力者に邪魔を受けながらも、なんとか頑張っていたジョージだが、ある日、社員が8000ドルを紛失してしまい、会社は倒産の危機に陥る。自暴自棄になったジョージは冬の川に身投げをしようとする。すると、天使(といっても美しい女性ではなく、初老の男だが)が、一瞬先に川に飛び込んだものだから、ジョージは天使を助けるために川に飛び込む。天使の言うには、ジョージの身投げを防ぐために自分が先に飛び込んだという。ジョージは相変わらず投げやりで、自分なんかいなくてもいいのにと言ったので、ドラえもんのタイム・マシーンのように、天使はその言葉どおりの世界にジョージを連れていく。自分がいなかったらどんな世界になっていたかを見たジョージは生きる望みを取り戻して映画は終わる。

ジョージのローン事業は、莫大な利益を上げているのではなく、ほとんど慈善事業のような感じだ。薄利で多くに人に家を持つ夢を叶えてあげていた。8000ドルを紛失して危機一髪の時、天使に説得されて自殺を思いとどめ、現実に戻ってきたジョージを待っていたのは、彼からお金を借りて家を建てた人たちがカンパを持ち寄って、損失を穴埋めしてくれたことだ。借り手・貸し手が共存して、一つのコミュニティみたいなものが描かれている。いかにもキャプラらしい発想だ。

でも、なんだか見ていて白けた。それは天使というキャラクターの存在だ。ストーリー的には、この天使の役割(ジョージに自殺を思いとどまらせ、自分の価値を再認識させること)を、妻か、あるいはジョージから融資を受けた人たちが受け持ったほうが盛り上がると思うのだけど、いかがなものか? ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン天使の歌」のように、天使でなければ表現できないものもあり、それなら天使を使う理由が分かるけれど、"It's a Wonderful Life"で天使を使うと、おちゃらけてしまう。間違ってはいけないのは、天使がジョージを立ち直らせたのではなく、「町の人たちの寄付」が「ジョージの会社」を立ち直らせて、その結果ジョージが立ち直ったのである。だったら天使の役割はなんだったのか?

それから、ジョージ役を演じたのはJames Stewart という、誠実・勤勉な役柄を演じたらこの人以外にいないという感じの評価を受けていた有名俳優だけど、演技がいまいちのような気がした。とくに、天使に連れられて自分のいない世界をさまようシーンの演技は、トム・クルーズが"Born on the Fourth of July"で見せた、ベトナムで負傷して生まれ故郷へ戻ってきたときのどたばた演技とそっくりだ。

ハッピー・エンドが悪いのではない。勤勉は報われてしかるべきだ。でも「素晴らしき哉、人生!」は、ストーリー自体は良いのに、普通にやれば良かったところを、天使というアイデアを使った点で損した感がある。

それでも、最後の"Auld Lang Syne"(「蛍の光」として知られているスコットランド民謡)の合唱はかなり迫力あるので、見終わった瞬間は颯爽とした気分になれる。クリスマスにテレビ曲が放映するのも納得だ。


初出エキサイト 12/29/2006 F http://takebay1.exblog.jp/4894458/