「ブルックリン横丁」

これはエリア・カザン Elia Kazan の1945年制作の映画。英語の原題は A Tree Grows in Brooklyn。大学の図書館で上映会があったので見に行った。カザンはかなり有名な映画監督で、「欲望という名の電車 A Streetcar Named Desire」「波止場 On the Waterfront」(ともにマーロン・ブランド主演)「エデンの東 East of Eden」(ジェームス・ディーン主演)「紳士協定 Gentleman's Agreement」あたりはよく知られている。元々は舞台の人で、スタニスラフスキー・メソッドを採り入れたグループ・シアターという劇団で役者をやっていた。また、一時期共産党員だったために、1952年の赤狩りの時代、下院非米活動委員会(HUAC)に喚問された際に、共産党と関わりのある友人の名前を喋ったために、同業者たちから非難を受けた。

「ブルックリン横丁」は、20世紀はじめのニューヨークのブルックリンに住むアイリッシュ系家族の物語だ。父(ジョニー)は陽気で人情にあふれる性格で憎めないが、酒に溺れてしまう悪癖を持つ。母(ケイティ)は大変な働き者で現実的な思考の持ち主で、一家を切り盛りしている。姉(フランシー)は中学生くらいで母に似て勤勉で勉学に励む。弟(ニーリー)は勉強は嫌いないたずらっ子だが、家族に協力するときにはしっかり協力する。ある日、フランシーは、隣の裕福な地区のレベルの高い学校に行きたいと言いだした。その願いを叶えるべく、校長に嘘をついて入学許可を得る。そして一家は安いアパートに引っ越しをする。新しいアパートでの生活はなんとかうまくいっていた矢先、なじみの警官がやって来て、父ジョニーが病気で倒れたと言う。求職の望みが断たれたらしく、やけになったて酒を飲んだらしい。ジョニーは死ぬ。ケイティは懐妊中で、葬式では大勢の友人がジョニーに最後の別れをする。ケイティは仲の悪かった妹(か姉)とも仲直りをして、最後は馴染みの警官から求婚される。

夢想主義者のジョニー、現実主義者のケイティ、二人を足して2で割ったようなフランシー。ケイティは夫が死んだあと、ずいぶん辛く当たったことを悔やむ。自分の価値観をあまりにも押し付け過ぎたことを恥じる。夫には友人をたくさん作る才能があり、唄やピアノもできた。夢を子どもたちに語ることもできた。どれも生活を楽にするのには役立たない才能だが、ひとりの人間として夫を愛してやれたのかと、フランシーを前にして告白する。

映画の最初の方で、アパートの中庭にあった木が切り倒される。それを知って嘆くフランシーに、父は「まだ根っこはあるんだから、いずれ伸びるよ。悲しむ必要はないさ。」と言う。母のように目の前の現実をてきぱきと裁くことは絶対必要だし、それはやらなくてはいけない。と同時に、そのうち木は伸びるよ、というお気楽さもどこかで持ち合わせていなくては、人生は回り続ける臼みたいになってしまう。

勤勉、協力、笑い、向上心、信仰心。「ブルックリン横丁」はアメリカン・ドリームがまだ実現可能だった時代の物語だ。第二次世界大戦中の制作であることを考えると、この映画はアメリカ人のモラルに強く働いたことは間違いない。

余談だが、この映画を観てぼくはヘンリー・ミラーの自伝を思い出した。ベネッセ文庫にあるやつだ。ミラーも20世紀のはじめの頃、ブルックリンで育った。その本が手元にないのがむずがゆいのだが、ミラーのブルックリンの描写が、たしかこの映画のような感じであったような気がする。


初出エキサイト9/8/2006 F http://takebay1.exblog.jp/4270259/