「考える技術・書く技術」

最近追いかけているものとして、一昔前の知的生産術の本がある。個人の所有物としてのコンピューターが普及する前の時代に、研究者たちによって書かれた知的生産の方法を読んで、先人たちの知恵を自分の仕事に活かしていきたいという願いでやっている。

先日は「思考の整理学」(外山滋比古)を紹介したので、これがシリーズ第二回目となる。「考える技術・書く技術」は1973年の発行。著者の板坂元は日本文学の研究者で、執筆当時はアメリカの大学で教鞭をとっていた。タイトルどおり、考えるための基本的姿勢と、考えたことを言葉で表現する際の留意点を簡潔に述べている良書だと思う。外山の「思考の整理学」とおなじように、研究者のみならず、会社で働く人にも応用が利くような内容になっている。思考法から始まって、読書の仕方、整理方法、発想法と進んで、後半は説得術、文章術となっている。ありがちな精神論ではなく、文章記述の具体的技術について書いているので、すぐに参考にできる。

「思考の整理学」でも触れていたが、カードの利用方法は、この種の本の定番だと言ってよいだろう。それだけ多くの人がカードを使っているけれど、決定的なカードの書き方・整理法はないという事実を物語っているのだろう。例に漏れず私もカードを使ってる一人だが、これだ!と納得できる整理法が見つからないまま今日に至っている。今ではコンピューターを使うので、昔のカードが引き受けていた役割の大部分はコンピューターに移管されたのかもしれないが、書き込み方、整理方法の根幹的な考え方は、カード時代から変わっていないと思う。

特徴的なのは、文房具についてもページを割いていることだ。文房具については、大切な仕事道具なのだからこだわるべしというのが板坂の持論である。多くの文房具品について述べれているが、なかでも回転本立てはぜひ私も欲しい。それからダーマトグラフの話が出てきて、自分も大学生のときに使っていたのを思い出した。もしかしたらこの本を当時読んで真似したのかもとしれない。本当に読んだのかどうかは記憶が定かではないが。

私は文房具にはこだわらないが、唯一こだわりがあると言えなくもないのはノートぐらいだろうか。大雑把なこだわり方だが、自分が研究用に使うノートはアメリカ製と決めている。ブランドは問わない。アメリカ製のノートを使う理由は二つある。一つは、アメリカで勉強をしてきた関係上、標準の3つ穴のノートに書きためたものがたくさんあるので、いまさらほかの種類のノートに変えられないという現実的な理由がまずある。もう一つは心理的な部分で、私にとってはどうも日本製のノートは紙の質が良すぎて、ノートを前にして何か書こうとするとかしこまってしまう。くだらないことを書いたらノートに叱られるような気持ちになることがある。その点、いくぶん粗雑な質の紙で作られているアメリカ製のノートは、気さくな感じがして、馬鹿なことを書いても許してくれるような雰囲気がある。なので、どんなことでもどんどんノートに書きなぐっていける。私の勝手な思い込みだが、こだわりとは本来そういうものだろう。今後はノートだけでなく、他の文具にもこだわりの幅を広げていきたいと思う。おそらく、道具にこだわることは、仕事に内容にこだわることとつながる部分があるもかもしれない。

最後に、詳細は省くが、英語学習についての板坂の指摘はそのとおりだと思う。アメリカで大量の文献を読むとなれば、辞書にたよっていてはいくら時間があっても足らない。今の自分の語彙力でなんとかするという姿勢が必要となってくる。辞書べったりで、一語一語の解釈にこだわるようではとても実用レベルの英語力は身に付かない。さすが、イギリスやアメリカで15年暮らしてきた人の言葉だけに説得力がある。同感である。