加藤秀俊「整理学 忙しさからの解放」

タイトルを見て実用的な本だと予想して読み始めたら、いい意味でその予想を裏切られた。整理学の「学」は学問 の意味で、人類がこれまで行ってきた整理をいう行為を壮観してみようという趣旨の本である。もちろん新書だから、綿密な議論が展開されているわけではない。実用性の点で役に立つという本でもない。それでも私は気に入った。なぜなら、整理とはなんなのかという根本を考える機会をもたらしてくれたからだ。ようするに、我々は生きている限り、整理の必要から解放されることはない。逆に言えば、生きることすなわち広い意味で整理だということになる。整理とは部屋を片付けたり,書類を分類するというだけの意味ではなく,広い意味で人生をどう使うか,生きている中で遭遇する情報をどう処理するかという人生観にまで行きついてしまう。そういう視点から,日常で起きる整理の必要について人類はこれまでどのような工夫・発明をしてきたのか、本書は小気味良い文体で一気に読ませる。

本書の話題は多岐にわたる。アリストテレスの九分類、中国の七略、現在の図書館の分類法などの知識史には当然言及されている。さらに整理のための機械(郵便番号の仕分け機など)、オフィスで使うファイリングシステムなどの事務文具、そして個人がつかうメモ帳も整理の道具として興味深い洞察がなされている。そして秘書という職業の重要性が整理という観点から述べられているあたりは面白い。

整理の問題はスペース確保の問題と関連してくる。「整理学」はこのスペースの問題も取り扱う。書類や書籍は増える一方なので、図書館などは有限であるスペースと無限に増えていく蔵書量の狭間で苦労してきた。マイクロフィルムやスライド式書庫はこの問題をそれなりに解決したが、スペースの消滅を先送りしているだけで、根本的な解決でないことは誰も目にも明らかだ。そうなると現在グーグルがやっているスキャン・プロジェクトやアマゾンのキンドルは人類が書籍を作って以来の課題をついに根本的に解決するのかもしれない。

最初に言ったように,日常の整理に即役立つようなノウハウが詰まった本ではない。整理という作業を人類史的観点から見渡して,現在のさまざまなシステム(図書分類法など)、技術開発(マイクロフィッシュなど)、文具開発(ファイルフォルダーなど)、整理を仕事とする人たち(秘書や司書)のありがたさを改めて実感できるだろう。私は大学院で初めてマイクロフィルムを経験してずいぶん感動した人間だが、その数年後にはマイクロフィルムで読んでいた資料がネットからダウンロードできるようになり、そのときは目頭が熱くなったのをはっきり覚えている。デジタルの時代とはいえ、紙製品のファイルフォルダーなどは、これなくしては仕事ができないほど貴重だし、図書館では司書やアーカイブの人たちにお世話になってきた。将来はもしかして秘書を雇うかもしれない。本書が示すように、整理は人生の一大事であるが、整理自体で仕事の成果となるわけではない。サブタイトルに「忙しさからの解放」とあるように、整理自体に手間暇をなるべくかけず、成果に直結することに時間を使いたいと思うが、整理の問題は一生つきまとうことは間違いない。