走るための動機を思い出す101のリスト

ツイッターでフォローしているアメリカのランニング・マガジンRunners' Worldに、101Kicks in the Buttという、走るためのモチベーションを101個紹介した記事をみた。101のリストをざっと見たときの感想は、走るのにこんなにたくさんの理由とか動機とか仕掛けのようなものはいらないな、というものだった。

しかし、よくよく考えてみると、走る動機というのはさまざまだということに気づいた。人それぞれによって違うという意味ではなく、私一人という人間でも、日によって時間によって、そのときの外的状況によって、走ろうという動機は(そして、走るのはやめとこうという動機も)常に変化していく。ここで忘れてならないのは、たった今の自分はどういう動機を持っているかを常に意識しているとは限らないということだ。動機って、もちろん自分の内側にあるものだが、それをいつも意識しているとは限らない。動機を持っている自分に気づかないことだってある。

このリストを一つずつ読んでいくと、目から鱗のようなすごいものはない。当たり前のことや、そういえばそうだよね程度のものが101こ書かれている、言ってみれば平凡なリストだ。たとえば、59番には「走った後は気分爽快だ」ということが書かれている。しかし、この程度のありきたりの経験則でさえ、ときとして頭から抜け落ちるがために、走るのをやめとこうという動機を持つことがある。そういうとき、このリストを読んで、そうだった! メールを全部処理したら走りに行って気分爽快になろうという動機付けを自分に与えればよいわけだ。34番は「いつもより速く走ってみよう」だが、これとてなかなか思いつかないことだ。ついつい、いつものスピード、コース、距離を、義務的に走ってしまう。

べつに練習メニューを作るわけでもなく、コーチがいるわけでもない。走ること以外に考えることはいくらでもあるので、走ること自体について積極的に考えようとは思わない(すくなくとも私にとって)。それでも、走ることで生活の質の向上を目指している身としては、走ることについてあれこれ考えないようにしながらも、走るための動機をキープしていたいという一見矛盾する要求を自分に課している。

そう考えると、この101のリストは、自分の(いつも明確に意識しているとは限らない)動機を、自分の外側に出しておくための便利なリストなのかも知れない。もちろん、101すべては自分にとっての動機となり得るものではない。自分用にカスタマイズしたリストを作ることだって可能だ。

私は、カスタマイズするのも面倒なので、このリストを部屋の壁に貼って、ときどき眺めている。すると、いつもそうだとは言わないが、走るための動機が見つかるときがある。そして、着替えて走りに行く。それが何番なのかは日によって違う。つまり、走る動機はそのときの気分や状況次第ということだ。自分の動機が自分で分からず、リストに教えてもらうというのは、変な話のように聞こえるが、人間はものを忘れる動物だし、動機を一時的に忘れても、お叱りを受けなければいけない責任もない。ただし、忘れっぱなしは困るので、こういうリストは存外役に立つ。他のことにも応用できる。