A Conversation with Berry Gordy

今日もいい天気。空は真っ青。大学内の庭園でのんびりした。たくさんのハーブが植えられていて、これからどんどん生長する。木の芽もものすごい勢いで伸びている。冬がえげつなく寒いぶん、夏はいとおしい気分にさせる。

夜はベリー・ゴーディの話を聞きに行った。明日の卒業式でスピーチをするのでその前夜イベントのようなものだ。最初の40分くらいは大学のジャズ学科の教授たちのセッションを聞かされた。なんでジャズなの? クール・ジャズじゃなくてモータウンサウンドをやってほしかった。ヴォーカルの女の人には記憶があって2年くらい前同じ場所でコンサートを聞いた。なんかがズレている唄いっぷりだねと、連れの全員と意見が一致した。それは今夜も同じだった。長い前座が終わり、ゴーディが登場。拍手喝采。あれっ、意外と小柄だなというのが第一印象で、顔の感じは船井幸雄に似ているなというのが第二印象。つるっぱげで、にこにこ顔で、こういう人がモータウンの一癖も二癖もありそうな契約アーティストを統率していたとは信じられない。ゴーディの右にさっきまでウッドベースを弾いていたジャズ教授、左にファイナンスの教授が座り、鼎談の形で話が進められた。ゴーディの話を要約すれば、人間中心のビジネスをやったんだよ、組織とかそういうことは考えずに好きな音楽をどうやってアメリカ全国に広めるかを一生懸命考えた。ということだった。

ファイナンスの教授がいたけれどなんだかミスキャストのようで気の毒だった。ゴーディは銀行から借金をしなかったそうだ。最初から自己資本でやったそうだ。それはともかく、ビジネスにはファイナンスはじめ、会計、税金といろいろな専門知識は必要だけど、ビジネスの根本の根本の「やる気」はビジネススクールでは教えられない。授業料を払っても手に入れられない。ゴーディとファイナンスの教授が並んでいるのをみて、結局学校という場所は知識しか学べない場所なのだと思った。別にファイナンスの教授という仕事を見下げているのではない。働いて金を稼ぐのにはその人間の全面でもって立ち向かう真剣勝負なんだなあと、知識されあれば事足りるなんて思ったらいけないなあと。ぼくはかつて会社で働いていて、それなりの責任ある立場で現場を切り盛りしたから、ゴーディの言うことは肌感覚でよく分かる。でもこうやって大学で自分の勉強ばかりしていると、働く感覚がだんだんぼやけてくる。

質問の一つに、モータウンは当時の社会変革にどう影響を与えたかと思うかというのがあって、ゴーディの答えは、「自分の会社を潰さないようにと一生懸命だったから、社会とか変革とかそんなこと考えてる暇はなかった。」。ぼくはこれを聞いて嬉しかった。もしかしたら、黒人全体の地位向上を願って......みたいな美辞麗句を並べるんじゃないかとひやひやどきどきしたからだ。この発言を聞いてぼくはこの人が好きになった。この人は自分の仕事に誇りを持っている。だからそういうことを言えるんだと思う。起業家というのは自分の商売のために汗を流すのだ。社会のためではない。結果として社会に貢献するかもしれないが、順序を入れ替えてはいけない。ぼくはゴーディのこの考え方こそが正しい仕事の仕方だと思う。起業家でなくても、雇われ社長でも、課長でも、平社員でも、そしてどんな仕事にせよ、社会のためとか人類のためとか大げさに考える人は例外なく大した仕事をしていない。同じように、自分のやっている仕事を語るのに哲学とか理念を持ち出す人も大した実力じゃないなというのが、ぼくの経験から感じることである。どんな仕事であれ、今日明日をどう切り抜けるかという一番切実な現実に集中していたら、社会とか哲学とか考える暇なんてあるはずがない。

これで明日の卒業式のスピーチの内容がだいたい読めた。......仕事とは組織やシステム相手にやるものではありません。人間と人間との情熱のぶつかり合いなのです。いえ、人生そのものが人間と人間との触れ合いの積み重ねなのです。私のモータウンはビジネスとして成功しましたが特別の秘訣があったわけではありません。毎日一生懸命働いて好きな音楽を作ったのです。それだけなのです.......こんな感じだろう。