リオ#2:語学の基本、カルメン・ミランダ、サンバ、コパカバーナ、コルコバード他

もっとまめに更新するつもりが、たった一回しか更新せず、もう成田に着いてしまった。ニューヨークからの飛行機の中で書いた。最初は言葉のことから、、、

リオではまったく英語が通じない。1,2,3という数字も通じない。ということは、ブラジルの学校では英語を教えていない。というより学校に行ってないのかも知れない。だからレストランで注文を通すのでさえかなり手間どる。

ポルトガル語なんてイタリア語やスペイン語と同じようなものだと思っていたが、そうでもないらしい。多国籍グループでレストランに行くと、ウェイターと話をするのにわれわれはロマンス語系(ラテン語)の人を頼るのだが、イタリア人が意思疎通に四苦八苦していた。かなり違うらしい。

そういうわけで、語学の基本は、決まり文句の丸覚えと単語力だということを再認識した次第。単語50個、定型表現を30ぐらい丸暗記して来れば、とりあえず用は足せるだろうし、もっと勉強したければ、そこからさらにいろいろな社会的コンテキストで使う定型表現と単語を追加していくというのが語学のプロセスなのだと思う。こんど英語圏以外の国に行くときは、あらかじめ単語を50個とフレーズを30個たたき込んでから行くと誓った。

ホテルのテレビはサムソン、学会会場になっている大学では、各教室にLG製のモニターと17インチのエイサーのラップトップが設置されている。ちょうど旅行中、パナソニックが冷蔵庫部門を中国に売却するというニュースをWSJの見出しで知ったので、やっぱりそうなるよなと、妙に高性能で値段が高い日本のガラパゴス家電の世界的立ち位置を改めて知る。

地下鉄に乗ったら、みんな携帯で話し放題。着信の音もあちこちで鳴り響く。バイブレーション機能はないのだろうか。ただし耳障りではない。携帯のスピーカーがさほど高性能ではないらしく、音域の狭い音しか出ないからだと思う。だから、上でも書いたが、なんでもかんでも高性能というのは考えもの。

マラカーナ・スタジアムというところに行った。現在は2014年のワールドカップのために改装中。たぶんメインのスタジアムとして、決勝戦に使うのだと思う。2014年にたぶんテレビで決勝戦をみるときの楽しみができた。スタジアムにサッカー博物館が付設されていて、20R払って中に入ったが、20Rの価値なし。歴代の有名選手の足形がたくさんあって、昔のスタジアムで使っていたものが少し展示してあるだけ。でも、そうはいってもブラジルなので、気持ちよく払ったつもり。でもショップで売っているブラジル代表チームの公式ユニフォームが200R (12000円?)というのは高すぎる。

それから、カルメンミランダという歌手の博物館にも行った。カルメンミランダは、1940年代のアメリカで活躍した人だが、ブラジル出身者で唯一ハリウッドの、あの例の手形をとってもらえたというすごい歌手なのだが、そのわりには博物館はかなり貧相で、「ロンリープラネット」では、外観はまるで公衆便所そっくり、とまで書かれる始末。そこまで言わなくてもいいのではと思っていたが、実際行ってみると、ほんとに公衆便所に見えた。何がみれるかというと、外観の貧相さに比例して、たいしたものはない。年譜と衣装とビデオだけ。ちなみに無料。いちおうパンフレットをくれたので、もうそれで満足(マラカーナ・スタジアムは20R も払わせておきながらパンフレットも作っていない)。「ロンリープラネット」には、ブラジルではミランダはほとんど忘れられた存在と書いてるけど、学会に来ているアメリカ人は結構知っていて(ミランダはアメリカのセレブなのだから、アメリカ人なら知っていて当然ともいえる)、私と同じくこの貧相な博物館を訪れていて、その話で妙に盛り上った。

トロピカルなジュースが毎日たくさん飲めて幸せだが、どれも水っぽい。水で薄めてるのだと思う。それでここの人は好みの量の砂糖を入れて飲んでいる。

ブラジルと聞いて思い出す歌は、バリー・マニロウコパカバーナ」。多くの人がそうだと思う。コパカバーナは市の南にあるビーチで、お金持ちが夏にバカンスに泊まりに来るという場所。ロンリープラネットでは、コパカバーナの最盛期は1940年代で、いまでは趣味の悪い店がならんでいるとか書いてあったので行かなかった。あと一日滞在すれば、たぶん行ったと思うが・・・。でもビーチはほんとうに美しいみたいだ。リオに着いたとき空港でタクシーの人に真っ先に言われたのが、「コパカバーナのホテルに泊まるのか?」だったので、いまでも相当の数の旅行者はコパカバーナに泊まるのだと思う。ちなみに、今(7月)は夏ではないのだが、ビーチは海水浴ができる程度には暖かい。

先日、サッカーをやっているところを見てないと書いたが、ついに見た。貸し切りのマイクロバスで市内(整備の十分行きとどいた区域)を走っているとき、サッカー用のグラウンドが何面かある場所を通った。こどもから大人までたくさんサッカーをやっていた。

市の北に位置する空港から市内に向かう地帯は荒涼としていて、本当にリオに着いたのだろうかと一瞬疑った。少し前にコーミック・マッカーシーの「ザ・ロード」を読んだので、本の描写とリオ北部の現実がだぶった。リオでさえこうなのだから、地方ではこどもが裸足でサッカーというのは本当なのかもしれない。経済成長著しくミドルクラスの台頭が消費を支えているというのがブラジルの強みなのだが、1984年まで軍事独裁で、ついこの前までハイパーインフレで経済がめちゃくっちゃだったという過去はそう簡単には消せない。大学進学率は3パーセントだというし(ガイドから聞いた)、そういうことなら高卒の割合は半分もなさそう。見方をかえれば、経済成長の余地は相当あるということ。

サンバ・クラブは楽しかった。ふだんは踊ったりしない私も学会仲間と踊った。9時過ぎから演奏が始まって、われわれは12時すぎに店を出たが、まだまだ演奏は続いた模様。踊ったことで我を忘れたわけではないが、演奏を録画しなかったのは今回の旅行の唯一で最大の後悔。iPodタッチにビデオのアプリがあるのに。

この反省を生かして、次の日のコルコバードでは、ケーブルカーで4人組のバンドが生演奏していたのでそれはきっちり録画した。後日アップロードの予定。

最終日は、半日のツアーに参加。コルコバードという標高700メートルの絶壁にそびえ立つキリスト像を見に行った。リオ全体が360度のパノラマで見れる一番の観光名所。ツアーはガイドつきで、細かなことは全部やってくれたので楽だった。昔は、パックツアーのような出来合いのものを毛嫌いしていたが、チケットを買ったり、目的の場所を探したりするのに時間をとられず、その分仲間との話に集中できて、積極的に使う価値があるという考えに転向した。

最後に、学会のことも。これが主目的だったのだから、一応は書いておくことにする。三日間の割とこじんまりした学会で、約40カ国からの参加者が発表した。日本の学会は日本人がほとんどだし、アメリカの学会に行けばアメリカ人がほとんどなので、こういう多国籍な学会は、他にはない良さがある。参加人数はたぶん100人以上150人以下だったと思う。これくらいの人数だと、三日間一緒に入れば、全員と自己紹介して名刺交換するまではいかないが、互いに顔なじみになるので親密感が生まれる。だからちょっと何かきっかけがあれば、すぐに会話がはずむ。今回は地の利を生かしてブラジルの研究者の発表が多く、そのうちのいくつかを聞いたが、アメリカという概念そのものを批判的に捉えていた研究いくつかあった。地理学的には、アメリカは、北のカナダから南のチリまで全部を含むのだが、一国としてのアメリカがこの地域全体を代表する、あるいは支配するというような理解になりがちなので(現実には、それはある程度当てはまるのだが)、そこらをもう一度フラットにして問い直そうということなのだと思う。それから、自分の研究分野と近いペーパーをいくつか聞けたのでよかった。戦後のポピュラー音楽とか、ビート文学とか、自分の分野と重なるので、継続的に意見交換をしていけるかもしれない。日本からも私の他に数人参加していて、うち何人かは初めてお会いする方たちで、いろいろ意見交換させてもらえたよい機会だった。開催期間中できるだけたくさんの人と話した。研究のことや研究環境のこと、人脈的なこと、もちろん世間話も。だれと何を話しても、みんな研究が好きで一生懸命がんばってるんだということが伝わってくる。大阪からリオまで飛行時間で約24時間、乗り継ぎ時間を入れれば30時間を超す長旅だったが、参加する意味が十分にあったと思う。他の参加者も同じことを言っていたが、社交辞令でもおざなりでもない、本心だと思う。