ミネアポリス<観光編>

前日の土曜日の夜に飲んだ酒がいけなかったのか、今朝食べたケーキがいけなかったのか、食あたりを起こしグロッキーな状態だったが、せっかくきたミネアポリス、見るものだけは見て帰るぞと意気込み、ホテルを11時にチェックアウトして、街の北にむけて進路をとった。

ミネアポリスダウンタウンで一番特徴的なのはスカイウォークだろう。10年前の夏、初めてこのミネアポリスにきたとき、これが何のためにあるのか分からずに出迎えてくれた人に訊いたのを覚えている。スカイウォークとは、冬の寒さをしのぐために、中心街のビルの二階部分を繋いでいる通路のことだ。このスカイウォークをたどっていけば、寒い外を歩く時間がかなり省ける。寒さよけだけでなく、雨よけにも使える。今週はずっと雨が降っていたので、傘を持たなくてもスカイウォークを使って濡れずに目的の場所に行けた。ビルの内部の通路では店が並び、商店街のような感じだ。ただし、くねくね曲がっているので、自分がどこにいるのか分からなくなることもしばしば。旅行者は、スカイウォークの地図を手に入れたほうがいい。


こういう歩道橋がダウンタウンの至るところを通っている。

ミネアポリスダウンタウンはこじんまりしていて、南北、東西ともに歩いても20分ぐらいだ。その中に、野球のスタジアム、コンサートホール、デパート、市庁舎、コンベンションホール、公園、美術館、など全てが詰まっている。ダウンタウンの南側から出発して北に歩いていくと、ミシシッピ川に突き当たる。このミシシッピ川をくだっていくとニュー・オリーンズにたどりつく。ぼくが最初に目指したのは、ミシシッピ川沿いにあるMill City Museumだ。ミネアポリスは製粉業で栄えた街なので、その歴史をすこしは知っておこうと思った。


1880年ごろ、ここには世界最大の製粉工場が作られた。鉄道が作られる前はミシシッピ川が主な輸送経路だったが、この頃には鉄道が敷かれて、製造した小麦粉を全国に運ぶことで莫大な利益をあげた。1884年に誕生した初のプロ野球チームはMinneapolis Millersと呼ばれた。だが最盛期はだいたい1880年代から1920年代までで、そのあとは斜陽をたどった。


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上の2枚は、壊れかけているが、当時そのままの工場内部である。


この写真は、上の二枚の写真の廃虚の内部の外を撮った。人が二人立っている入り口から廃虚に入る。線路に注目。完成した小麦粉はすぐに鉄道に乗せられ運ばれた。床は石ではなく木。この木の道は車がふつうに通る道として使われている。奥に見える青っぽい突っ張ったものが気になるが、それはこの次に紹介する。

Mill City Museumの隣に最近できた劇場があった。Guthrie Theatreという。中に入ったけど、よく分からずじまい。ミネアポリスに住む友人の話では、館内にレストランやショップがたくさんあると言っていたけど、そういうものはなかった。この横に飛び出た部分は展覧台になっていて、写真の左を流れるミシシッピ川と製粉工場の跡を見れる。


実際はもっと明るい青なのだが、曇りだったので光が足りないのか、カメラの性能が悪いのか、こういう冴えない色に写ってしまった。


このせり出し部分、見れば見るほど気になる。この写真でせり出し方が半端ではないことがわかる。


せり出した端に行き、そこから川を眺める。なかなかの景観である。

Mill MuseumとGuthrie Theatreからさらに東に歩いていくと、Minnesota Twinsのホームスタジアムがある。東京ドームはこれを見本に造られた。


屋根の色と空の色が同化している。


これは歩いている途中で見つけたアパート。ぼく好みのデザインなので撮った。



いよいよ川を渡って、ミネソタ大学に向かった。とその矢先に変なものを見つけた。木に履き古しのスニーカーが引っかけられている。


さすがミシシッピ川雄大なたたずまい。その向こう岸に立つミネソタ大学のキャンパス。かっこいい。ぼくの大学にも川は流れているが、比べ物にならないくらい小さい。


ようやく着いた目的地がWeisman Art Museum。アメリカで一番有名な建築家、フランク・ゲーリーFrank Gehryの設計だが、ぼくはあまり好きではない。奇をてらいすぎという感じが否めない。でも、建物自体は小さいので、周りの建物も入れて全体で見るとそれほど違和感はない。

さてこの美術館では現在、"Bob Dylan's American Journey 1956-1966"という企画を展示している。これこそ、学会参加が決まった時から見たいと楽しみにしていたものなのだ。日曜日だったこともあり、館内は大混雑。受け付けでインタヴューを50本ほど詰めたiPodを借りて、展示に合わせて順次聞いていった。初期のディランについてはかなり知識を持っていると思ったけど、またひとつ知らない事実を発見した。それは1962年4月(初アルバムを発表したばかり)のミシガン大学でのコンサート・ポスターに、"Bob Dylan" ではなく、"Bob Dillon"と印刷されていることだった。ディランという芸名の由来はディラン・トーマスという詩人からとったとするのが通説だが、対抗説は、当時のテレビ番組の主人公に "Dillon" という名前があり、これをより響きのいい"Dylan"にしたというものだ。両説を知っていたが、Dillon名義で印刷されたコンサート・ポスターがあることは初めて知った。


ミネソタ大学は川の両側にキャンパスを持っている。これは連絡橋で、奥の赤い通路は冬の防寒用通路だ。ミシガンで寒さにはそれなりに慣れているぼくだが、ミネアポリスミシシッピ川に架かる橋の上を吹きすさぶ寒風というのは想像しただけでもこわい。

Weisman Art Museum のそばにブックストアがあり、ミネソタ大学のシャツを買いたかったのだが(ぼくはえんじ色が好きなので)、休業だというのには驚いた。日曜日って、付近の家族連れなんかがキャンパスに来て、土産をたくさん買っていくんじゃないの? ぼくのところではそうだけど。しかたない。雨も降っていたし寒かったので、キャンパスをぶらぶらする元気もなく、帰ることにした。それにしても、威風堂々としたキャンパスだ。こういう所で論文を書いたらさぞかしはかどることだろうと、なかなか進まない執筆の責任転嫁を一人ごちながら、バスに乗り、ダウンタウンに戻った。


早めに空港に着き、荷物をチェックインして、空いた時間でMall of Americaをぶらぶらした。ミネアポリスで最も知られているといえば、このMall of America だろう。1992年に開業したアメリカ最大のショッピング・モールだ。敷地の四隅をデパートが占めていて、真ん中は遊園地みたいになっていて、アトラクションが幾つかある。1996年に初めてここを訪れた時は、その大きさと絢爛さに腰を抜かした。日本からの視察も多いらしい。そのせいかミネアポリス空港の表示は英語と日本語だけだ。空港からはLight Railで15分ほどで行ける。とくに買いたいものもなく、ぶらぶらしただけだった。

以上でミネアポリスの観光は終わり。空港に戻ってセキュリティを通過してゲートで搭乗の案内を待った。そしておこった不測の事態。といえば、よくあるアレのことだが、もうずいぶん長くなったので続きは次回。