Miriam Makeba

ミリアム・マケーバ逝去。1960年代初期にニューヨークで音楽活動をしていたので知っていたが、訃報記事を読んで、さらにいろいろ知る。1960年に、祖国南アフリカアパルトヘイトに反対していたという理由で、入国を拒否された。以来、マケーバはアメリカ他の国を転々とする生活を送った。1976年に国連でアパルトヘイト反対の演説をすると、今度は、南アフリカ政府は彼女のレコードを放送禁止にした。アパルトヘイト関連以外で新しく知ったことは、一時期ストークリー・カーマイケル(SNCC, Black Panthers Party)と結婚していたということ。この結婚が原因で、アメリカの音楽業界から干されてしまい、ギニアに移住した。1968、69年あたりのことである。

60年代前半のニューヨークでは、フォーク歌手として人気があった。ハリー・ベラフォンテほか、当時のフォークリバイバルで活躍した歌手たちとステージに立った。カーネギー・ホールでソロリサイタルを行ったくらい、人気はすごかった。1962年のケネディ大統領の誕生日では招待を受けて歌った。

ベラフォンテも、リバイバルブームが終わるにつれて、政治的メッセージを強く出すようになった。というより、政治的な部分に、人々がより関心を持つようになったと言うのが正確か。そういう時代に突入していったのが1960年代後半のアメリカである。カーマイケルも当然そういう流れの中で中心役を演じた一人だった。マケーバも多分そうだったのだと想像する。1966年のグラミー賞で、二人のつくった"An Evening with Belafonte and Makeba"というアルバムがbest folk recording賞に選ばれた。これはアパルトヘイトを主題にしたアルバムだった。

SNCCや、キング牧師のSCLCがあって、ジョンソン大統領のCivil Rights Act、それからマルコムXの暗殺、ブラックパンサー、キングの暗殺。ミリアム・マケーバもこの時代の黒人活動家として、この系譜の中に位置づけることができるわけだが、これらの出来事からまだ50年も経ってない。そして先週のバラク・オバマの圧勝。キングの暗殺はちょうど40年まえ。そして来年からオバマ大統領。たった40年だ。たった40年。立場によってはとても長い時間だったという意見もあるだろうが、それでも40年でここまで変わるとは、40年前の人は想像できなかっただろう。