敗者の弁

テレビでスポーツ観戦をするときは、ゲームそのものはもちろんだが、ゲームのあとの敗者の弁にも注目している。日本のテレビは敗者にマイクを向けることはあまりしないが、アメリカのテレビではごく普通にやっているので(たとえば、MLBのケーブルチャンネルでは、全試合で監督が試合後に会見を行う)、今週月曜日のワールドカップ女子決勝アメリカ対日本戦でも、ESPNは試合終了後、スタジアムから長身フォワードのワンバックゴールキーパーのソロ、そして監督の短いインタビューを放映した。それから、次の日のESPNのサイトには、二人のアメリカ選手をスタジオに呼んでトークをする映像がアップされていた。

なぜ負けた人のコメントに注目するかというと、勝ったときは人間というのはだいたい同じような顔をして同じようなことを言うのに対して、負けたときは人それぞれの個性が出るところがおもしろいからだ。もっとも、監督のような立場だと、しょっちゅうコメントを出しているので、あらかじめ用意しているコメントを出すだけというような人もいるが、選手だと敗戦の弁を語る機会は監督ほどないし、しかも今回は世界ランキング1位の米国なのだから、敗戦を語ることにはますます慣れていないはずだ。そういうとき、とっさの判断で何を語るのかは大変興味深い。

試合直後のワンバックのコメントは、短い時間の中で、Japan never gave upを三回ほど繰り返したのが印象的だった。彼女の表情は晴れ晴れしていたように、私には見えた。すでに平常心を取り戻したかのような非常に落ち着いた対応だった。それから、ゴールキーパーのソロは、そのポジションゆえに負けた責任を感じているのか、ややテンションが高いままでインタビューに応じたような感想を、私はもった。

すごいと思うのは、二人とも、負けた悔しさ・落胆ははっきり述べると同時に(でも、嫌みにはまったく聞こえない)、自分たちを誇り、そして勝者に対して賛辞を惜しまないことだ。さらにすごいのは、これらのことをわずか20秒ほどで言ってしまえる言語技術である。もし、自分がワンバックやソロだったら、どういうコメントを出すだろうか。彼女たちのようにさわやかに簡潔にしゃべれるだろうか。はっきり言って、できない。 

これは彼女たち自身が身につけた言語技術であると同時に、アメリカ人全体の言語技術なのかなとも思う。(あるいはもっと広げて英語圏なのかもしれないし、はたまたスポーツ界の世界標準なのかも知れない。正直なところよくわからない。)なかなか、日本語であれだけの内容を、普通の口語表現をつかって20秒で言おうとしても、そういう表現方法を日本人は共有していないのではないか。

ちなみに、このESPNの記事で、ソロが試合後語ったコメントが引用されている。

「これは絶対に勝たなければいけない大会でした。大会中ずっとそう思っていました。同時に、日本にはより大きな力が働いていたようにも思いました。彼女たちはこの大会にかけていました。だから、もし負けるとすれば、それは日本であってほしいと思いました。彼女たちはとてもまとまっていましたし、すごい気迫で闘い抜いたチームだからです。」

とりあえずこんな感じになるのだろうか。これだけのことを、試合が終わってから5分以内に言うときの心と頭はどういう状態なのだろう? ご本人に直接伺いたい気持ちだ。

自分の仕事や生活全般では、スポーツのようにはっきり勝敗がつくことはほとんどない。勝ち負けに類似する結果がでることはあるが、そのほとんどは衆人に知られるような性質のものではないし、仮に知られたとしても、敗者の弁を、そして勝者の弁も、特定の人に非公式な形で話すことはあっても、公式発表することなんてない。でもなるべく日常レベルで、常に試されていて、結果に対する説明を求められているという感覚を持っていたいので、欲しかった結果を得たときも得られなかったときも、第三者的傍観者ふうな自分に向かって喋っている。

だから、ワンバックや、日本のペナルティ・キックを一本しか止められなかったソロの試合直後のコメントは、自分にとっての最高の教材に思えた。恵まれているとはほど遠いサッカー環境で優勝した日本女子選手たちの努力が報われたことに涙腺が緩みかけたが、ワンバックやソロがテレビのインタビューで話しているのをみるとそれも止まった。ああいう負け方をしても、彼女たちは凛々と、悔しさ、自分に対する誇り、相手に対する賛辞を述べたのだから。