キャプテン・クランチとサンフランシスコ・マイム・トループ

現在、頼まれ仕事で短い原稿を書いている。その内容がハッカーの歴史というもので、まったく知らない分野だが、字数が少なくていいので何とか書けるだろうと思い引き受けた。いろいろ調べながら、時間をかけて書いている。ぼくが知っていたことといえばARPANETXerox PARCくらいで、あとは知らない固有名詞がたくさん出てくる。ハッカーの起こりがMITの鉄道クラブだったというあたりはまだいいが、そこから先の出来事は文献によって記述の比重がまちまちで、何が重要で不可欠なのか判断に迷っている。それから、プログラミング関係の用語を正しく理解できているのか自信がない。だから、その方面の記述はカットすることにした。それでなんとか形はつくだろう。

さて、今日、キャプテン・クランチ(Captain Crunch:本名ジョン・ドレイパー)の「偉業」を読んでいて、6年前のことが頭によぎり、その時の謎が解けた、と断定はできないのだが、解けたような気持ちになった。という話をしたいと思う。キャプテン・クランチの偉業とは、1970年代のはじめ、シリアルのおまけについてきた笛を使って、無料で長距離電話をかける方法を発明したというもので、彼は伝説的ハッカーとして崇められている。6年前の夏、ぼくはサンフランシスコへ旅行した。その時に、San Francisco Mime Troupeの芝居を観た。SF Mime Troupeは1950年代終わり頃から活動している社会風刺劇を専門とする劇団だ。サンフランシスコを拠点にしながら、全国ツアーも行っている。無料で見れることが多く、ぼくが6年前見た場所も、市街地から遠く離れた、そこそこ立派な家が建ち並ぶ地区の、芝生の植えられているだけのだだっ広い公園で、そこに仮設舞台を作り、客は芝生に寝転がったり、持参したイスに座って見た。

その芝居の内容はもう忘れたというよりは、ほとんど理解できなかったが、ひとつだけきつねにつままれたような感覚になったシーンがあった。それは、役者がAT&Tのことを口走った時、客が一斉に大笑いしたことだった。セリフは聞き取れていなかったにせよ、前後の流れからして、笑いの原因はAT&Tという会社そのものにあることは間違いなさそうだった。スキットの流れの中で「AT&T」を落ちに使ったという感じではなく、いきなり「AT&T」を出して、それだけで笑いを取ったような感じだった。ぼくは、AT&Tの何が面白いのか、さっぱり理解できなかった。社会風刺の劇団だから、大企業を皮肉るために、たまたまAT&Tを使ったのだとしたら、あそこまで大きな笑いは取れない。なにか、AT&Tでなければいけないような、地元の人たちはみんな知っているようなAT&Tに対する共通の知識か理解か感情か評価か、そういうものをぼくは知らないのだな、と思った。

今日、キャプテン・クランチの長距離電話ジャックのことを読んで、これだったんだと直観した。6年前のSF Mime Troupeの芝居で、客がAT&Tで大笑いしたのは、このキャプテン・クランチの 電話ハッキングがみんなの共通知識としてあったからなんだと。キャプテン・クランチはサンフランシスコ界隈の人物だったし、SF Mime Troupeを見に来る客というのは、ヒッピー/カウンターカルチャーの雰囲気を引っ張っているような人たちが多い。お行儀のいい大人なら到底許せないキャプテン・クランチの蛮行だが、Mime Troupeの客なら拍手大喝采で、巨大企業をおちょくった彼のスマートさを讚える。

SF Mime Troupeのサイトに行ったら、ぼくが見たタイトルのポスターがあった("1600 Transylvania Avenue")。それから、上にあるロゴの入ったTシャツを買って、今でも着ている。すこし小さいがお気に入りだ。さして生地も傷んでいない。6年前ぼくが見た芝居のスキットを確認したわけではないので、あの時ぼくが遭遇した、青空を揺らすような観客の大笑いが、キャプテン・クランチの電話ハッキングに原因があるとは断言はできない。それに記憶というのは、あてにしなければいけない時に限って、あてにはならない。あくまで推測だ。でも、ハッカーの原稿を引き受けたことで、あの時のことを思いだし、謎が解けたような気持ちになれたのは今日の楽しい出来事だった。