What a Wonderful Feeling!

今年の一番の個人的出来事は、胃が変調をきたしたことだった。変だという自覚症状は3月くらいからあったが、ちょうどその頃は暴飲暴食がつづいた時期だったので一時的なものだと思い込み、食事量を抑えるなどして調整してきたが、変調は断続的に続いた。しかもだんだん悪くなっていくようで、9月おわりごろには我慢の限界を超えた。それで、大病院の診察を受けた。担当医に症状を伝えると、胃酸が逆流して食道を荒らしているのだろうという見立てだった。それは、ぼくが事前にネットであれこれ調べて予想していたのと同じだった。念のため、内視鏡検査をお願いした。やっかいな病気ではないと分かったので一安心をした。

こういう話をすると、「お前も歳をとったということだな、体をいたわりながら、年相応の生き方をしろよ」とか言われそうだ。実際、一日一日歳をとっているのは事実だし、それにつれて内臓機能が衰えてくるのは自然の成り行きだ。胃腸が丈夫なほうではないという認識は10代からあったので、このように予感が見事的中して、内視鏡を飲んだという経験は、ある意味で織り込み済みだった。

それだからなのか、肉体の衰えをはっきり見せつけられたことからくる気持ちの落ち込みは全くなかった。むしろ、胃の変調がきっかけで新鮮な感覚をあじわえているここ2、3か月である。何が新鮮なのか。これまでの大好物だったコーヒー、炭酸水をほとんど飲まなくなった。これらはかならずしも胃に悪いわけではないが、どちらも胃酸の分泌を促すので、胃酸が出過ぎているぼくにとっては飲まないほうがいい。コーヒーを常飲するようになって20年は経つだろうか。一日5杯、6杯は普通だった。それが現在では自宅ではもうゼロに近いくらい飲まなくなった。飲むとしたら、外で飲むときくらいか。炭酸水はアメリカ時代に覚えた習慣で、食事といっしょに飲んだり、風呂上がりに飲むのが最高に美味しかった。もうそれもやめた。この、これまでこびりついていたコーヒーと炭酸水の習慣が、いとも簡単に自分からはがれ落ちたという感覚がとても新鮮なのである。

やめたのは、担当医に強く言われたからではない。担当医は、腹八分目を心がけるようにとだけ言った。つまりぼくの症状はごくごく軽いものだったのだ。自分の判断で、やめたほうがいいと思ったのだ。信じてもらえるかどうかは別として、こういう時はえてして禁断症状が出てくるものだが、全然出ていない。たまにコーヒーを外で飲むと書いたが、外で飲んで帰ってきて家で飲みたくなることもない(冷蔵庫にはコーヒー豆が入っているけれども)。胃の不調が原因だったとは言え、これまでの習慣からこうも簡単に抜け出れるものなのかという驚き。もちろんすべての習慣からこのようにあとに引きずらず抜け出れるわけではないが、このようにいとも簡単に抜け出れることもあるという発見は、今年一番の収穫だったかもしれない。

病院でもらった胃酸分泌を抑える薬を飲むと、みるみるうちに食道の辺りの不快感は消えていった。その薬を飲まなくても大丈夫になった頃、10月の終わりころだっただろうか、何かの拍子にふとひらめいたことがあった。胃腸が歳とともに衰えていく代わりに(それに胃や食道を鍛える方法は存在しない)、心肺機能と下半身の筋力を増強してやればいいじゃないか。そうだ、ランニングだ。

ランニングはかれこれ3年くらい続けているが、その目的は筋力維持だった。「維持」であるから、きつい練習はしなかったし、ついついなまけて一週間くらいさぼることもしばしばだった。だが「増強」となると、負荷をかけてそれなりのきつい練習をしなくてはいけない。一週間も休んでは筋肉が減ってしまう。そうなると、がぜんランニングの内容が変わってくる。これまでは何となく走って満足していたが、今では時計を必ずつけてタイムを計りながら走っている。あるいは、ランニングの専門語でLSDという持久力アップの練習方法を取り入れたりしている。来月からは坂道トレーニングをする予定でいる。

胃から始まり、ランニングに話が飛んだが、コーヒー・炭酸にもう一度戻すと、現在のコーヒー・炭酸のない生活の方がすばらしいとか健康的だと言っているのではないのでご注意を。良い悪いではなく、長年の習慣がストレスなく変わったということが、これまで味わったことのない新鮮な感覚だったと言っているに過ぎない。そして、この感覚は、こんごの人生のどこかで生きてくるのではないかという予感がするからこそ、こうやって文章に残しておこうと思ったのだ。だから、来年になったらまたコーヒーを暴飲しだすかもしれない。そうなったらそうなったでいいのだ。今持っている、一つの習慣がすっと自分の体から音を立てずに向けていく感覚をおぼえていさえすれば。