アラン・ロマックス伝記(Alan Lomax: The Man Who Recorded the World by John Szwed)

イギリスのロックバンド、アニマルズの1964年のヒットシングル「朝日の当たる家」(The House of the Rising Sun)を、アニマルズのオリジナル曲と思っている人が多いが、これはカバー曲である。では誰のオリジナルなのか? 実ははっきりしない。この歌を最初に唄った人は著作権登録をしなかったからだ。ではアニマルズはどこでこの歌を知ったのか? アラン・ロマックスというアメリカ人のおかげである。

アメリカ各地で、口承でつたわるフォークソングを収集・録音していたロマックスは、1937年ケンタッキー州で、16歳の少女が歌う「朝日の当たる家」を録音した。これがレコード化されて、のちにアニマルズが聞くことになった。ロマックスは、フォークソングの収集家として、アメリカだけでなく、世界中の歌を録音した。彼の初めてのレコーディングは1933年にさかのぼる。ハーバード大学の教授だった父のジョンに連れられて、アメリカ西部のカウボーイの歌を録音した。そして死ぬ直前の2002年まで彼はフォークソングの収集を続けた。彼が録音したのは地元でのみ知られていた無名の歌手がほとんどだが、その中には、のちに大スターとなった人も含まれた。マディ・ウォーターズやレッドベリー、ウディ・ガスリーなどである。したがって、アメリカでは、ロマックスの名前を知らなくても、ロマックスの録音した歌を知らない人はいないと言っても過言ではない。

最近、Alan Lomax: The Man Who Recorded the Worldという、アラン・ロマックスについての伝記が刊行された。著者のジョン・スウェッド(John Szwed)はコロンビア大学の教授で、過去にマイルス・デイヴィスやサン・ラーの伝記を書いている。私自身まだこの本を読んでいないが、英米の新聞に掲載された幾つかの書評が共通して指摘しているのは、アラン・ロマックスについての初の本格的伝記である本書は、学術的な内容というよりは、ロマックスの私生活に焦点を当てていることだ。フォーク音楽収集家(あるいは民族学者)としてのロマックスの功績については、これまで多数の論文が書かれているが、私生活については断片的にしかしられていない。だから、今回のスウェッドの書いた448頁にわたる伝記は、ロマックスの業績を別の角度から検証する取りかかりを与えてくれるかも知れない。

ロマックス親子の功績は、研究者の間でも音楽関係者の間でも広く認められている。その功績とは、単にフォークソングを収集して、後世のわれわれが聴けるようにしただけではない。父のジョン・ロマックスの功績としてよく言われるのが、フォークソングの概念を拡大したことである。父のジョンがフォークソング収集を始めた1900年代は、彼だけでなく、ほかの民俗学者フォークソングを収集していた。ただし、ロマックスが同業の民俗学者と違ったのは、他の民俗学者たちが収集しないような種類のフォークソングも収集したことだった。当時の常識では、「フォークソング」とよべるのは、アングロ・サクソン系の住民がうたう歌のことだった。イングランドスコットランドで歌われていた歌が、移民たちによってアメリカに持ち込まれ、アメリカの地で代々受け継がれてきた歌を「フォークソング」と呼んでいた。地域的には、東海岸側の、特にアパラチア山脈地方がフォークソングの収集の対象となった。この常識に反して、ジョン・ロマックスは、当時の常識では「フォークソング」とはみなされなかったカウボーイ・ソングなど、西部で歌われていた歌を収集した。

父ジョンの仕事を受け継いだアランは、アメリカ国内だけではなく、外国のフォークソングの収集を推し進めた。1950年代のほとんどをイギリスですごし、その間、ヨーロッパ各地でフォークソングを収集した。それらはコロンビア・レコードから12枚組みのシリーズとして発売された。またイギリス滞在中は、BBCフォークソングのラジオ番組を制作して、アメリカのブルースをはじめとするフォークソングを紹介した。ビートルズローリング・ストーンズ、アニマルズのメンバー、それにエリック・クラプトンなどは、ロマックスの番組を聴いたり、ロマックスが収集した歌のレコードを聴き、1960年代のブリティッシュ・ロックに発展した。

さて、最後に。これは歴史の皮肉かもしれないが、なぜアラン・ロマックスは1950年代のほとんどをイギリスで過ごしたのか?まったくの彼の意志というわけではなかったそうだ。ロマックスはFBIから共産主義者のレッテルをはられており、アメリカ政府の赤狩りが激しかった1950年代前半、追跡を逃れるためにイギリスに渡ったというわけである。「よい戦争」「仕事」などの著作で知られるスタッズ・ターケルはこんなことを言っている・・・・・・・今日わたしたちがローリング・ストーンズの音楽を聞いて良い気分になれるのは、実は冷戦のおかげかも知れない。どういうことかって? もし、冷戦がおこらず、赤狩りのような出来事がなければ、ロマックスはイギリスに移住しなかったかもしれない。そうなら、ロマックスはBBCでラジオ番組を作らなかったし、イギリスの少年たちがアメリカのブルースを聴く機会も限られただろうし、ミック・ジャガーロバート・ジョンソンのブルースにしびれることもできなっただろう・・・・・